日本の公立高校を卒業すると、単身で渡米して、ハーバード大学に入学。その後、INSEAD(欧州経営大学院)、マッキンゼー、BIS(国際決済銀行)、OECD(経済協力開発機構)と渡り歩き、現在、京都大学で、若者たちにその経験を伝えている。日本・アメリカ・ヨーロッパ、本物の世界を知る日本人が明かす、国境すら越えて生きるための武器と心得とは。

UBS銀行の頭取も職業高校出身だった

 1998年から2004年まで、私は、スイスのバーゼルに本部があるBIS(国際決済銀行)という国際機関で働いていました。

今年の夏も多くの人がライン川を遊泳した
出典:Swiss Info.ch

 バーゼルは、ライン川交易で発展し、その後、繊維産業が栄え、現在は世界的に有名な製薬会社があるドイツ語圏の人口30万人の小都市。暑い夏になると、ライン川で多くの人が泳ぐ光景を目にする、のんびりとした所です。鉄道の便がいいため、ヨーロッパを鉄道で旅行した方は通り過ぎたことがあるかもしれません。

 私がスイスで生活していて感じたことの1つは、高い所得水準と生活の“ゆとり”です。どのような職業においても、1人ひとりがプロフェッショナルとしての自信とプライド、実践的な教育機関で学んだ知識を持って働いています。その理由の1つに、『自分の小さな「鳥カゴ」から飛び立ちなさい』(ダイヤモンド社)でも紹介した職業高校の存在があると考えています。

河合江理子(かわい・えりこ)
[京都大学国際高等教育院教授]
東京都生まれ。東京教育大学附属高等学校(現筑波大学附属高等学校)を卒業後、アメリカのハーバード大学で学位、フランスの欧州経営大学院(INSEAD)でMBA(経営学修士)を取得。その後、マッキンゼーのパリオフィスで経営コンサルタント、イギリス・ロンドンの投資銀行S.G.Warburg(ウォーバーグ銀行)でファンド・マネジャー、フランスの証券リサーチ会社でエコノミストとして勤務したのち、ポーランドでは山一證券の合弁会社で民営化事業に携わる。
1998年より国際公務員としてスイスのBIS(国際決済銀行)、フランスのOECD(経済協力開発機構)で職員年金基金の運用を担当。OECD在籍時にはIMF(国際通貨基金)のテクニカルアドバイザーとして、フィジー共和国やソロモン諸島の中央銀行の外貨準備運用に対して助言を与えた。その後、スイスで起業し、2012年4月より現職。

 スイスやドイツにはいまだに徒弟制度の名残があり、職業高校在学中からトレーニーとして企業で働くという風習が残っています。たとえば、UBS銀行のような世界的に有名な銀行で頭取をしていたマルセル・オスペル氏も、職業高校へ通いながら働き始めた人物です。

 職業高校で勉強を終えてから、そのまま社会人になって働き続ける人もいますが、さらに勉強を続けたい人は、「Haute Ecole spécialisée(高等教育専門院)」という高等教育機関(高等学校ではなく、高校卒業後の教育を意味する)で勉強することができます。

 名前の由来にも通じるように、高等教育専門院とは、大学で勉強するようなアカデミックな学問ではなく、より実践的な専門知識を勉強する場です。また、大学、大学院と同レベルの資格も取得でき、もちろん、理系の学問だけではなく、芸術、経営学なども勉強することができます。職業高校を終えた直後でなければ通えないということはなく、さらなる専門知識が必要だと感じたときに、このような高等教育機関に戻って勉強を続けると聞きました。

 なぜ、このような機関ができたのでしょうか。それには、スイスならではの理由があります。