「マック・ハーバード」の存在
現在のマッキンゼーは多くの若手コンサルタントの存在に支えられているが、コンサル業界において「年齢と経験」をとるか、「若さと可能性」をとるかの選択は、長年にわたり大きな問題だった。
創立者ジェームズ・マッキンゼーのあとを継いだマーヴィン・バウワーでさえ、経験の浅い若手をコンサルタントに起用することには、懐疑的だったという。いまや、ほとんどのコンサルタントが自分より数十歳も年上の重役にアドバイスを与えることでキャリアをスタートさせているが、当時はいま以上に経営には経験が重視されており、経営者たちはいくら頭脳明晰でも若手コンサルタントから助言を受けることをよしとはしなかった。
そうしたなか、マッキンゼーは「若さと経験」に賭けるという選択をした。マッキンゼーが、その方針を明確にしたのは1953年だった。ビジネススクールの最優秀学生、とりわけハーバード・ビジネススクールで上位5%の成績を残した「ベイカー・スカラー」に注目したのだった。
1950年から1959年のあいだに、MBA(経営学修士)を持つコンサルタントの比率は大きく上昇して、20%から80%になった。それに合わせて、コンサルタントの年齢の中央値も約10歳も低下したという。以後、低い給料で未経験で優秀な人材を雇って、実際のプロジェクトを通して短期間で鍛えあげることが、同社の基本的な人材育成戦略となった。
マッキンゼー出身であり、RJRナビスコやIBMで華々しい功績を残したルイス・ガースナーも次のように回想している。「(私のコンサルタントとしての)最初の仕事はソコニー・モービル石油の重役報酬の調査だった。このプロジェクトの初日は忘れられない。私は重役報酬について何も知らなかったし、石油産業についてもまったく知らなかった。(中略)マッキンゼーの世界では、素早く成長することが期待された。数日のうちに数十歳年上の役員たちとの会合に出ていた」。もちろん、ガースナー自身もハーバード・ビジネススクールでMBAを取得している。
こうして、マッキンゼーとハーバード・ビジネススクールのあいだには現在も続く深いつながりが生まれた。ハーバード・ビジネススクールは、将来のコンサルタントを育てあげ、マッキンゼーはハーバード・ビジネススクールに揺るぎない威信を与えたわけだ。両者のつながりを「マック・ハーバード」と呼ぶ作家もいるほどだ。1960年代なかばマッキンゼーのコンサルタントのうち5人に2人はハーバード出身だったし、1978年になってもハーバード・ビジネススクールの卒業生が全体の4分の1以上を占めていたという。
マッキンゼーには、世界中の大企業の重役室に腰をすえているOB、「マッキンゼー・マフィア」の存在がある。このネットワークの規模に匹敵するのはハーバード大学の卒業生のネットワークしかないだろうが、さらに言えば、この2つの巨大なネットワークはかなりの部分において重なっている。