ゼネラリストか、スペシャリストか
コンサルティング・ビジネスに関する著書を残している作家ハル・ヒグドンは「(コンサルティング・ファームにおけるスペシャリストは)フットボールのゴールキーパーみたいなものだ。1人は必要かもしれないが、マッキンゼーの人間はみんなクオータバックになる訓練を受けていた」と言っているように、マッキンゼーは長年ゼネラリストによって占められてきた。実際に、社内で出世するのはゼネラリストに限られていた。
ところが、クライアント企業がコンサルティングにより専門的な知識を求めるようになると、マッキンゼーもそれに対応せざるをえなくなった。1976年にMD(マネージング・ディレクター)に選出されたロン・ダニエルのもと、それまでのゼネラリスト・モデルに代わる新たな取り組みが行われた。その一つが、コンサルタントたちの経験と知識を集約して統合する「ナレッジマネジメント」だ。
さらに、ベル研究所でミサイルの研究にたずさわったのち1967年に入社していたフレッド・グラックの存在も、従来のゼネラリスト志向に変化をうながした。
グラック以前、マッキンゼーの典型的な人材といえば、長身で誰からも好かれるような洗練された容姿、ふるまいを身につけていることが最低条件だった。ところがフレッド・グラックは、背が低く眼鏡をかけていて、ところ構わずにやにやと笑うような男だった。現に入社したてのグラックは上司からクライアント企業の重役と接触することを禁じられていたほどだ。
ところが、1980年代以降のIT技術の飛躍的向上と、それにともなって増加したIT活用の需要を背景に、当時のマッキンゼーでは珍しい科学的知識の豊富なオタク、フレッド・グラックは1988年にMDに選出された。
この流れは、1994年にインド系のラジャット・グプタが、2003年にイアン・デイビスがMDに選出されると加速した。MBAホルダーばかりではなく、医学博士や法学博士、哲学博士といった幅広い学位を持つ人材を積極的に採用するようになったのだ。