『半沢直樹』を観ていて気になること
容赦ない銀行の「出向」は島流しか?
人気ドラマ『半沢直樹』(TBS系・毎週日曜21時~)を観ていて、どうにも気になることがある。それは、銀行からの「出向」がかつての「島流し」のように、まるでこの世の終わりのような処遇として描かれていることだ。
ドラマとしてのデフォルメの故とは思うが、『半沢直樹』にあっては「出向=負け」と設定されている。
世の中に、出向している人は多い。銀行から出向中という人も現役だけで何万人単位でいるはずだ。彼らは、あるいは彼らの家族は、あのドラマにおける「出向」の扱いを見て傷つかないのだろうか。ドラマを見ている子どもに「お父さんは出向なの?」と訊かれたら、どんな気持ちになるのだろうか。
もっとも、多くの銀行員は出向しているとはいえ、自分が銀行の一員であることにプライドを持っている。また世間的にも、銀行員であることに対して、かつてほどではないにしても、まだ多少なりとも「エリート」のイメージがある。あのドラマの出向の扱いは、ぎりぎり許される範囲内なのだろう。
今週の『週刊ダイヤモンド』(9月21日号)は、「半沢直樹はどこにいる? 頼れる銀行・頼れない銀行」というタイトルで銀行を特集している。この特集の42ページでは「メガバンクの出世レースは敗者復活戦なきトーナメント戦」という記事で、三菱東京UFJの出世レースの様子が図解されている。
銀行志望の大学生は、この図をじっと眺めて、人生の先行きを考えるべきだ。図には、「50歳を過ぎると大半は出向」「50歳頃に最年少役員誕生」という記述がある。筆者の知る限り、他のメガバンクも事情は似たようなものだ。
筆者は現在55歳で、大学は経済学部卒なので、同年代の友人には銀行に就職した者が多いが、確かに2~3年前から、役員になった者以外の銀行員は、全て銀行にはいない。