ポスト資本主義社会
ダイヤモンド社刊
2100円(税込)

 「資本主義と技術革新が世界的な現象となるうえで欠かせない重要な要件が一つあった。それが1700年ごろかその少し後、ヨーロッパで広まった知識の意味の変化だった」(『ポスト資本主義社会』)

 古来、知識の意味について、理論は2つしかなかったとドラッカーは言う。賢人ソクラテスは、知識の役割は知的、道徳的、精神的な成長を図ることにあるとした。

  ソクラテスのライバル哲人プロタゴラスは、知識の役割は何をいかに言うかを知ることにあるとした。道教と禅宗では自己認識であり、儒教では何をいかに言うかを知ることだった。

 東西両洋において、知識が意味するものについて二派の対立があったものの、意味しないものについては完全な一致があった。それは行為にかかわるものではなかった。効用を与えるものは知識ではなかった。技能だった。ギリシャ語にいうテクネだった。

 ところが1700年以降、わずか50年のあいだにテクノロジー(技術)が発明された。テクノロジーという言葉そのものが象徴的だった。それは秘伝の技能たるテクネに、体系を表す接尾語ロジーを付けた言葉だった。

 こうしてものづくりが文明を変え始めた。

 「数千年にわたって発展してきたテクネすなわち秘伝としての技能が、初めて体系化され公開された。これこそが、やがてわれわれが産業革命と呼ぶことになったもの、すなわち世界的規模で引き起こされた社会と文明の転換の本質だった」(『ポスト資本主義社会』)