「理」を重んじ、“ID野球”でデータを駆使してきた知将・野村克也氏(78)。
だが、選手としてはテスト生で南海ホークスに入団し、1年目のオフに解雇宣告。「どうしてもクビなら、南海電車に飛び込むしかありません!!」のひとことでなんとかクビを免れたものの、いつまたクビを宣告されるかわからない。不屈の闘志で練習に励み、戦後初の3冠王、通算本塁打657(歴代2位)、通算出場3017試合(歴代1位)という球史に残る記録を残した。
監督としても、弱小球団だったヤクルトを3度の日本一。2009年、楽天を初のクライマックス出場へ導いた手腕は誰もが認めるところ。
このたび、『野生の教育論』を刊行したばかりの著者に、いま「野生の教育論」を説く意味を、2013年日本シリーズ「楽天vs巨人」のエピソードを交え全4回にわたり語ってもらった。初回は、「私は“野生の人”である」という話をお送りする。
選手が伸びるか、伸びないか
唯一の判断材料とは?
その選手が伸びるかどうかを判断する際、つまり将来性を見極めるとき、私が注目していることは何だとお思いだろうか?
身体能力? 頭のよさ? 素直さ?
なるほど、たしかにそれらは伸びていくために大切な要素であり、一流になる選手はみな備えている。
しかし、それ以前に絶対に持っていなければいけない条件がある。それなくしては、どんなに高い才能をもっていても、プロとしては大成できないという要素があるのだ。
「野生」である(本来は「野性」と呼ぶべきかもしれないが、あえて私は「野生」と呼ぶ)。
野手が三振したり、投手がKO(ノックアウト)されたりしたときに、選手がどんな表情でベンチに帰ってくるか、私はいつも注視していた。
へらへらと笑みを浮かべているような選手。これはまったく見込みがない。
そうではなく、全面に悔しさをみなぎらせていれば、将来、期待できる。私の経験から言って、まず間違いない。
これは、盛りをすぎたり、伸び悩んだりしている選手が再生できるかどうかを判断するときも同様である。
プロのスカウトの目に留まるような選手であれば、長嶋茂雄やイチローのようなごく一部の天才を除けば、じつはもっている才能に大差はない。半世紀以上もこの世界で飯を食ってきた私が言うのだから間違いない。
ならば、どうして差が生じるのか?
「絶対にやってやる。負けてたまるか!」
そういう闘争心や反骨心、すなわち“野生”をどれだけもっているか、なのだ。
それが大きな分かれ目となるのである。