37年間生きてきて、いちばん大変だった3年間

松田 実際に教師をやってみてどうでしたか?

乙武 まあ、それはそれは大変でした(笑)。よく言われるのですが、僕はこんな体ですから、「壮絶な人生を送ってこられたんでしょうね」とか言われたりします。確かに同年代の人よりもいろんな経験をしているでしょうから、大変だったこともあります。でも、それを考えても37年間の人生のなかで、あの3年間がいちばん大変でした(笑)。

松田 そうなんですか!

教師は、生徒を変えるきっかけが作れる感動的な職業である 乙武洋匡(おとたけ・ひろただ) 1976年、東京都生まれ。大学在学中に出版した『五体不満足』(講談社)がベストセラーに。卒業後はスポーツライターとして活躍。その後、東京都新宿区教育委員会非常勤職員「子どもの生き方パートナー」、杉並区立杉並第四小学校教諭を歴任、教育への造詣を深める。都内で、地域との結びつきを重視する「まちの保育園」の運営に携わるほか、2013年2月には東京都教育委員に就任。

乙武 それぐらい大変でした。でも、やってよかったと思っています。何より、自分自身が成長しました。目の前の子どもたちに、自分のこれまで生きてきたすべてをかけて全力で向き合うと、子どもたちが変わっていくのがわかるんです。

 僕は昔から人前で話をする仕事をしてきましたが、1000人、2000人の前で話しても、慣れもあるのか緊張することはありません。でも、教員時代は毎日緊張していました。たった23人の子どもたちですが、その視線がとても真剣なんです。本当に真っ白な気持ちで教師のいうことを吸収しようとする姿勢が伝わってくるから、担任である僕のひとつひとつの言動がそのまま伝わってしまう、そう思うと毎日緊張の連続でした。でも、それだけに、子どもたちがよい方に変わるというか、成長するのがわかると本当に感激します。

 いろいろありましたが、エピソードを1つ紹介すると、みんなの前で発表ができない、前に立つと泣いてしまうような引っ込み思案な子を、運動会でリレーの選手に選出したんです。

松田 それは大変な決断ですね。

乙武 それはもう(笑)。クラスで4名選ばれた中の1人だったんですが、最初はもう「できない、やりたくない」と泣いたりして。お母さんも心配して「あの子がクラスの代表としてみんなの前で走るなんて、本当にできるんでしょうか?」と言ってきた。でも僕は「お母さん、彼女の力を信じてください。僕も信じています」と伝えた。荒療治かもしれないけど、その子にとっていい転機となってくれると信じていたんです。

 その子は根がとてもまじめな子なので、朝練を重ねていくごとにタイムも上がっていって。本番ではちゃんとみんなの前で走ることができて、見事に大役を果たしたんですよ。

 それで、その子に、運動会が終わった後に「来年も、もし選ばれるんだったらリレーの選手をやりたい?」って聞いたら、少し迷った挙句、「やる」と。「どうして?」と聞いたら、「…もう逃げたくないから」って。その瞬間、僕はもう号泣でしたよ。

松田 ああ、すごくわかります。

乙武 その子は、僕が退職してからもリレーの選手となって下の学年の子に一生懸命教えていたそうなんですよ。そして、クラスでも自分の意見が言えるような積極的な子になってくれた。

松田 自信がついたんですね。

乙武 その変わるきっかけを与えられるのが教師なんです。もうほかにもいろいろと感動させられたことがあるんですが、それくらい教師ってやりがいがある仕事なんですよね。