大学卒業後、スポーツライターとして活躍していた乙武洋匡さんは、2007年、教育の世界へと飛び込んだ。杉並区の小学校で3年間教鞭をとり、現在は練馬区にある保育園の運営に参画しているという。著書『五体不満足』が大ベストセラーになって以降、常にメディアの最前線で注目を浴び続けてきた乙武さんが、これまでの生活を180度変えて新たな世界へ飛び込んだのは、何故なのか。その胸の内には、日本の子育てや教育に対する深い問題意識があった。チャレンジ精神や自己肯定感を持てない子どもに、無償の愛情を注ぐ乙武さんの話は、大震災以降の日本人が探し求める新しい価値観への提言にも、通じるものがあった。(聞き手/ダイヤモンド・オンライン 小尾拓也)
人を傷つけてしまう子どもたちを
「かわいそうだな」と感じていた
――乙武さんは大学卒業後、スポーツライターとして活躍していました。しかし2007年、スポーツライターをきっぱり辞め、小学校の教員に転向しました。安定していたスポーツライターとしての生活を捨て、なぜ全く関係のない教育の世界へ飛び込んだのですか。
大学を卒業後、7年間スポーツライターをしていました。その間、10代の子どもたちが相次いで命を奪われたり、奪ったりする事件が起き、教育の重要性に改めて気づいたんです。
2003年に、長崎県で当時4歳の男の子が連れ去られ、立体駐車場から突き落とされて殺害される事件が起きましたが、その犯人は当時中学1年生の男の子でした。また、翌年には佐世保市で、やはり当時小学校6年生の女の子が、カッターナイフでクラスメートを切り殺すという事件が発生しました。
メディアでは、「最近の子どもたちはどうなってしまったのか」という批判的な論調が多かったですが、僕は彼らのことを「かわいそうだな」と感じていました。
もちろん、一番かわいそうなのは被害者や遺族です。だけど、事件を起こしてしまった側の子どもたちもかわいそうだなと。「人殺しになってやろう」と思って生まれてくる子なんて、1人もいないんですから。
彼らだって、きっと苦しかったんじゃないだろうか。育ってきた環境によって、そんな事件を起こさざるを得ない状況に追い込まれてしまったのではないか。おそらく、周囲の大人が彼らの発する「SOS」のサインに気づき、軌道修正してあげられなかったせいもあると思うんです。