富を正当化するものは?

 「子曰はく、故(ふる)きを温(たず)ねて新しきを知れば、以て師となるべし」(為政第二)
 (古典を学んでそれに新しい意味を見つけ、現在の出来事も正しく判断できれば、人の師になる資格があるといえるだろう)

 歴史を学ばねば、将来も予測できないし、失敗も未然に防ぐことはできない。株高だ、なんだと地に足をつかない様子で騒いでいたのは、ほんの20年前のことだ。周りに踊らされて、また同じ轍を踏まないように慎重になるべきだろう。一つ一つ課題を解決しないと、グローバル化すればするほど、日本経済は以前よりずっとアメリカや中国から揺さぶられたら、ガタガタとなってしまう体質に変わっているのを自覚すべきだ。

 「子曰はく、富と貴とは是人の欲する所なり。其の道を以てせずして之を得れば処らざるなり。貧と賎とは是人の悪(にく)む所なり。其の道を以てせずして之を得れば去らざるなり」(里仁第四)
 (富貴は、人が欲しがるものだが、正しいやり方でそれを得たのなければ、君子はそこに安住しない。また貧賎は、人が嫌がるものだが、正当な理由があってそうなったのではない限り、君子はそういう境遇に置かれてもその場に誇り高くいるものだ)

 この意味を渋沢栄一は著書『論語と算盤』(国書刊行会)の中で「道理をもった富貴でなければ、むしろ貧賎の方がよいが、もし正しい道理を踏んで得たる富貴ならばあえて差し支えないとの意である」と解説している。

 渋沢が、言いたいことは利益を追求することはいいが、それが「仁」の道に外れ、利己的になり過ぎることを諌(いさ)めているということだろう。

 その点では、景気が今年も去年に増して回復して、人々が笑顔になるかどうかは、経営者が、社会や社員のことを考えた「仁」の道に則った経営をするかどうかにかかっているのだろう。