2年に一度、アジア各国で開催されているアドアジア(アジア広告会議)のスピーカーを務めるためにハノイに行ってきた。ハノイ空港には迎えが来ており、専属のアシスタントも付き、いささか恐縮する。電通、博報堂と並び、日本のモバイルの話をするために呼ばれたD2Cは、期待されているということの表れだったのだろう。
アジア各国の広告業界の面々が集い、各国の事例の紹介や意見交換を行う大会で、今回で28回を数える歴史ある大会となる。参加者は現場の担当者というよりも各国の広告業界の重鎮が集う会という印象だった。
依頼が来た時に主催者から望まれた内容は「日本の最新事例」だった。しかし、私はその要望に違和感を覚え、応じなかった。伝えるべきは最新事例ではなく、「日本では、いかに積み上げて来たのか?」だと強く考えたからである。
日本の経験から学べること
日本では、iモードによるモバイルインターネット開始時には、携帯電話の液晶にはモノクロもカラーも存在し、画面サイズもいろいろ。さらには2G回線と3G回線が混在している状況で、広告業界に「モバイルはメディアであり、広告媒体であり、マーケティングツールである」というメッセージを発し始めたわけである。
当初の広告掲載事例は、モノクロの小さなサイズのバナーから始まり、ケータイを使ったユーザー接点もメールが主流である。その後、バナー広告はカラーになり、gifアニメ、フラッシュ化して動きを伴うものになっていき表現力を高めた。
ユーザとやりとりをする場がメールしかなかったものが、自社サイトの構築や口コミを誘発する仕組みが増加し、現在のソーシャル活用へとつながる。キャンペーンの応募もハガキからモバイルとPCになり、今ではネット応募が当然になっている。
端末の高機能化、通信環境の高速化、ネットサービスの多様化に伴い、活用方法が変化し続けてきたと言えよう。