一連の公務員改革のご意見番的な役割を果たしてきた作家の堺屋太一氏も1月27日の国家公務員制度改革推進本部の顧問会議に、意見書を提出。その中で「内閣人事局には、総務省や人事院の定数が異動される部分が多いだろうが、人事も同じ人が異動するのでは中味が変わらない」と指摘したうえで、「(内閣人事局長を)民間の人事経験者(経営経験者)から選ぶ」ことや、「(内閣人事局の人員の)半数を目途に民間からの人材を採用する」ことなどを求めていた。

 こうした議論を踏まえて、2月3日に推進本部が決定した「工程表」は、問題の文言がきれいさっぱりと削除されていた。

 ところが、これで諦めるほど、漆間副長官はやわではなかった。そもそも、そうでなければ、警察官僚として、大阪府警察本部長や警察庁長官を歴任し、その頂点を極めることもなかったのかもしれない。法案の作成段階に入るのを待って、同副長官は新たな手を繰り出した。それは、内閣人事局長を副長官、つまり自分より格下の「危機管理監クラス」のポストに位置づけることで、漆間氏の部下にしてしまおうという画策だった。

 さらに、悪乗りとも取れる行動を起こしたのが、内閣人事局が強大な権力を持つことに幹部の多くが批判的な財務省の出身の福田進官房副長官補である。そのキーワードは、「総合調整権限」という。この権限は、内閣官房において、様々な利害対立が生じた際に、裁定を下す権利と考えれば、わかりやすい。福田氏は3月半ばの段階で、法案に規定されていた内閣人事局の所掌事務から、この総合調整権限を外し、内閣人事局長から実権を奪い去り、「官房副長官補が持つ総合調整に服する」というポストに貶めようと試みたのである。

 ここでも、自民党は容易に容認しようとしなかった。3月13日の公務員制度改革委員会で、「内閣人事局長を内閣官房副長官の部下と位置づけたのでは、改革の趣旨が果たせない」との意見が相次いだのだ。内閣人事局長を、独立した副長官クラスのポストにせよと改革派が要求したからだ。

 しかし、漆間副長官らは24日、再び「官房副長官を充てる」と戻した政府案を公務員制度改革委員会に提示し、正面突破を図った。ここまで舐められると、自民党の幹事長経験者の中川秀直氏、官房長官経験者の塩崎恭久氏、山本一太氏といった「改革派」だけでなく、衛藤晟一氏、中馬弘毅氏といった「中間派」まで反対に回ったのだ。このため、公務員制度改革委員会は紛糾し、24日だけでなく25日も調整未了のまま閉会せざるを得なかった。

麻生首相の“指導力”が
漆間副長官を救った

 驚くべきことだが、漆間副長官には、心強い味方がいた。新聞各紙でも報じられているが、麻生太郎首相がその人物である。報道によると、首相は25日に自民党の総裁室で、問題の政府案の修正の要求に来た同党の行政改革推進本部長の中馬弘毅氏に「わざわざ専門職を一人増やす必要があるか。駄目なものは駄目だ。おれは断じて譲らん」と声を荒らげたという。

 このとき、中馬氏は、新たな副長官級ポストを作り、このポストが内閣人事局長となる修正による事態の打開を目指していたそうだ。しかし、首相は同日、記者団に、公務員制度改革で“指導力”不足の印象を与えたくないと考えたとされる。そして、「(3月中に法案を閣議決定することを)当然だ」と言明した。