Photo by Yoshiko Miwa
毎年2月、米国またはカナダのどこかの都市で、科学の祭典が開催されている。科学雑誌「Science」の発行元でもあるAAAS(米国科学振興協会)の年次大会だ。今年も2月に第180回年次大会がシカゴで開催された。
約2世紀にわたって毎年開催されてきたAAASの年次大会には、教育・研究・科学政策・科学コミュニケーションなど多様な立場で科学に関わる人々、さらに科学を愛好する市民たちが、世界中から参加する。参加者は、多い年には約1万人に達する。今年は寒波と天候不順のため、当初予想よりも参加者は少なかったようだが、それでも7600人ほどだったそうだ(「Science」誌2014年2月21日号による)。
震災から3年を迎えた今、科学に関わる世界の人々は、東日本大震災や福島第一原発を、どのように記憶し、話題にしているのだろうか?
日本人も忘れつつある
東日本大震災
2014年3月11日は、東日本大震災から3年にあたった。読者の皆様は、ふだん、東日本大震災をどれだけ意識しているだろうか? 「あの大震災のときにどこにいたか」「どのような被害を受けたか」「現在どこに住んでいるか」で、意識のしかたは全く異なるであろう。
同じ東北でも、「激甚被災地であるかどうか」「福島第一原発からの距離はどの程度か」などの要因が、被害の状況や意識のされかたを大きく変えてしまっている。東北以外の地域では、よほど意識していなければ、東日本大震災を忘れずにいることは困難であろう。
恥ずかしながら筆者自身も、ふだんは「もう、あまり意識していない」というのが実情だ。東日本大震災の時、東京23区西端にある筆者の住まい、築60年に達する木造家屋は、倒壊の可能性を思い浮かべるほど揺れた。幸い、家屋は大きな被害を受けなかったものの、脆い大谷石の門柱が一本折れた。ご近所への被害に結びつかなかったのは幸運であった。上半分が折れて失われたままの門柱は、今もそのまま日常の風景に馴染んでしまっている。
その後、1週間程度を想定した飲料水の備蓄・2週間程度を想定した食糧等の備蓄は行った。また筆者の車椅子には、1晩程度の帰宅不能状態には備えられるように、食品・水・サバイバルグッズを常時積んでおくようにしている。しかし、そのあたりが個人でできることの限界だろう。2011年3月11日から「非常時の水の確保のため、庭に井戸を掘っておきたい」とは思い続けているものの、実行に移せないまま3年が経過してしまっている。
さて、世界の科学界は、どのように東日本大震災を記憶しているだろうか? あるいは、忘れてしまっているだろうか?