この通りなら、ゼロ金利の終了、つまり利上げ再開の時期が来年春ごろとなり、従来の市場予想に比べて半年程度の前倒しとなる可能性を意味する。つい言ってしまったのか、あるいは用意された発言だったのかは不明だが、FRB議長が将来の利上げ時期を示すことは異例で、そのうえイエレン議長は「超ハト派」とみられていただけに、市場は驚いた。

 このショックでニューヨーク市場の株価は大幅安となった。これに先がけ、株価はイエレン議長が就任した2月1日前後からすでに下落傾向を見せていた。量的緩和縮小という方針自体はすでにバーナンキ前議長が表明し、昨年12月に決定されていたことなので、今年に入ってからの株価下落は量的緩和縮小を嫌気したというよりも、イエレン新議長がそれをどのように実行していくか、その手腕に対する漠然とした不安が背景にあると、筆者はかねて指摘していた。残念ながら、初の記者会見での発言は今後の市場との対話にやや不安を残すものとなった。ウクライナ情勢の不透明感も加わって、イエレン議長は就任早々、試練に立たされているといえるだろう。

FRB議長は就任早々試練に見舞われる

 振り返れば、歴代のFRB議長は就任早々、市場の洗礼を受けている。古くは1979年8月に就任したボルカー氏。同年2月のイラン革命をきっかけとする第2次石油危機が起きたのに続いて、12月にソ連のアフガニスタン侵攻により金価格が暴騰し、翌1980年1月に当時の史上最高値を付けた(ちなみに、ソ連のアフガン侵攻と現在のウクライナ情勢には共通性を感じる点が多い)。このため米国経済はインフレに見舞われ、前任の議長がわずか1年5ヵ月で退任するという厳しい状況の中で、ボルカー氏がFRB議長に就任した。

 ボルカー議長は多くの反対を押し切って果敢に利上げに踏み切り、インフレ退治に成功した。試練を見事に乗り切り、カリスマ的な存在となった。同氏が議長退任直後に来日した際、インタビューしたことがあるが、2メートル近い身長もあいまって、そのオーラに圧倒されたことを今でもよく覚えている。

 ボルカー氏の後任として1987年8月に議長に就任したグリーンスパン氏も、就任早々の同年10月にブラックマンデーという大変な洗礼を受けた。同氏はカリスマ、ボルカー氏の後任だけに就任当初は影が薄かったが、ブラックマンデーが起きると即座に資金の供給を表明し危機を乗り切った。それによって評価が高まり、その後も絶妙な舵取りで景気拡大を長期化させることに成功した。いつの頃からか、「マエストロ(指揮者)」と呼ばれるようになる。