1954年生まれの筆者が記憶している東海林太郎(1898-1972)は、テレビのナツメロ番組で「赤城の子守唄」や「国境の町」を直立不動で歌う高齢な歌手の姿だ。あれはいつだったのか、「ナツメロ」という言葉が生まれていたはずなので、番組名は「懐かしのメロディー」だと思い、調べてみたが、ない。正しくはテレビ東京が1968年から74年まで放映した「なつかしの歌声」という番組だった。また、69年からはNHKが毎年8月に「思い出のメロディー」を放送している。

記憶していた図像は晩年の姿

「思い出のメロディー」は現在も続いているそうで、どうやら両方の番組がいっしょになって記憶されていたようだ。つまり、「なつかしの歌声」と「思い出のメロディー」が「なつかしのメロディー」として頭の中で合成されていたのである。テレビ東京の「なつかしの歌声」もその後、1992年から2007年まで「お昭和歌謡大全集」、2008年以降は「懐かしの昭和メロディー」として、断続的に放送されているそうだ。

「スウィング・パラダイス」(ユニバーサル、2014)

「ニッポン・モダンタイムス・シリーズ~スウィング・パラダイス」(2枚組、ユニバーサル、2014)、東海林太郎の洋楽が4曲収録されている

 直立不動、黒い燕尾服で歌う東海林太郎は1972年に亡くなっているので、筆者の記憶は中学生か高校生のころ、70年前後にテレビで見た姿なのだろう。時代錯誤な衣裳、といより声楽家の正装で歌う「赤城山の子守唄」は晩年の姿だった。

「決定版 東海林太郎」(キングレコード、2011)、代表的な作品集

 生真面目な歌手という印象だが、藤山一郎(1911-93)も真面目な印象だったが、東京音楽学校(芸大)出身者らしいプライドの高さを隠さず、高貴な明るさを発散していた。

 一方、東海林太郎は声楽とはほど遠く、独流の歌唱法によるユニークな声質だったと思っていた。よく透る声だが、音程が当たるような当たらないような、コブシを入れているような楽譜どおりのような、微妙な危うさとはかなさがあった。声は頭に通し、声楽の発声法ではある。しかし藤山一郎のような輝かしさはない。ハスキーボイスも使う。ほぼ無表情であり、姿勢を崩さない。もう現在では一人も存在しないスタイルだった。

 戦前の全盛期を知らず、70歳前後で歌う「赤城の子守唄」と「国境の町」を見ていたので、奇妙なアナクロ感とともに彼の図像だけが残っている。しかし、1枚のCDを聴いて、大きな誤解だと気が付いた。

甘く流麗な洋楽ポップスも録音していた

 そのCDとは、「ニッポン・モダンタイムス・シリーズ~スウィング・パラダイス」(2枚組、ユニバーサル、2014)で、今年2月に発売されたものだ。1930年代にポリドールが録音した当時のジャズ(洋楽ポップス)で、歌手は東海林太郎、藤山一郎、榎本健一、淡谷のり子といった流行歌手である。