3話にわたって1910-40年代、第2次大戦前のレコード産業草創期の様相を描いてきた。英米資本が1928年ごろから入ってくると、10年間のレコード産業は外資が主導することとなり、37年以降は日本蓄音器商会(コロムビア)も日本ビクター蓄音器も日産や東芝の同一資本下に入っていたことがわかった。コロムビアに十数年遅れてビクターが米国資本によって設立されると、30年代は歌謡曲が量産される時代となる。日本のポピュラー音楽史に大きな足跡を残したのが作曲家・古賀政男(1904-78)と歌手・藤山一郎(1911-93)である(一部敬称略)。
ゲイリー・ムーアと本田美奈子
本題に入る前に。
男子フィギュア・スケートで羽生結弦さんが金メダルを獲得したが、ショート・プログラムをテレビで見ていると、どこかで聴いたギターのソロが。そう、急にヒットチャートを上っているゲイリー・ムーアの「パリの散歩道」だ。
本田美奈子さんはゲイリー・ムーアの作品を1曲、彼のソロ・ギターを入れた作品を1曲アルバムに入れている。デビュー2年目、1986年のことである。
連載第26回で以下のように書いた。
高杉敬二さん(BMIエグゼクティブ・プロデューサー、当時はボンド企画社長)によると、87年の秋に「バンドをやりたい!」と本田さんが言ってきたのだそうだ。/高杉さんはすでに本田さんの路線を「歌謡曲」から転換させていた。86年秋に発売したアルバム「CANCEL」(東芝EMI、86年9月28日)はロンドンのミュージシャンを起用してロンドンのスタジオで録音し、前2作のアルバムとはまったく音を変えている。シングル「the Cross 愛の十字架」(86年9月3日発売)はゲイリー・ムーア(1952-2011)による作品で、ロック・バラードの傑作だ。
ゲイリー・ムーアは北アイルランド出身の音楽家で、ロックやブルースで日本でもよく知られたギタリストである。85-86年にはクイーンのライブに前座で出演していたことも記録に残っている(ケン・ディーン『クイーン オペラ座の夜』改訂新版、宝島社、2005)。泣くように滑らかなビブラートをかけ、16分音符で駆け回るソロが心地よい。「the Cross 愛の十字架」とアルバム「CANCEL」のアルバム・タイトル曲でギター・ソロをとっている(連載第26回)。
連載第26回にはゲイリー・ムーアと本田美奈子さんがいっしょにスタジオにいる写真を載せたのでご覧いただきたい。
「パリの散歩道(Parisienne Walkways)」は1978-79年に発売された楽曲だ。94年生まれの羽生さんは、どこでゲイリー・ムーアを知ったのだろうか。