東京・代々木上原駅にほど近い高台。日本音楽著作権協会のビルに隣接して、3階建て半円形の古賀政男音楽博物館がある。3階にはこの地にあった古賀邸の一部が移築され、机、椅子、楽器、楽譜などが保存・展示されている。使用していたピアノ、ギター、マンドリンはガラス・ケースに陳列されていた。
本田美奈子「アマリア」のマンドリン
ギターとマンドリンはイタリアのヴィナッチャ製で、製作年代は不明だが、長年弾いていた跡が残る。ところどころニスは剥落し、指板は変色している。1920年代に入手したそうだから、100年は経過しているであろう。ギターは他に2台あったが、ヴィナッチャをとくに愛用していたという。
明治大学マンドリン倶楽部の運営、指揮、演奏とともに、当時、専門学校でギターとマンドリンを教えて月収60円を得ていたというので、高価な輸入楽器を購入できたのである。
1930年1月にビクターから佐藤千夜子の歌唱によるレコードが発売され、明大卒業後もマンドリン・オーケストラで活動していた古賀政男は作曲家としてデビューすることになった。31年には「影を慕いて」(佐藤千夜子版)もようやく発売されるが(後述)、あまり売れた形跡はない。
1930-31年に発売されたビクターの古賀政男作品の伴奏は、明治大学マンドリン倶楽部が主体だった。マンドリンとギターが歌謡曲に初めて登場したわけだ。
本田美奈子さんの1994年のアルバム「Junction」の中に「アマリア」という曲がある(連載第8回)。越路吹雪のカバー曲で、岩谷時子作詞、内藤法美作曲によるファド風の歌である。60年代の作品だ。
萩田光雄による編曲は、マンドリン・ソロとヴァイオリン、チェロによる序奏で始まる。鮮やかなマンドリンのトレモロが印象的だ。ファドはポルトガルの民俗的な歌曲でギターの伴奏による。原曲の越路吹雪版ではクラシック・ギターの2重奏で始めているので、ファドの色彩が強い。
本田美奈子版はマンドリンで始まる。マンドリンはイタリア、歌詞の舞台はポルトガルだが、岩谷時子さんは「長崎の石畳」を対比させており、国籍不明の不思議なファンタジーとなっている。萩田光雄は慶応義塾大学クラシカルギタークラブ出身のベテラン編曲家だ。奇しくもギター合奏の経験者であり、マンドリンの使用は撥弦楽器経験者の発想だろう。
本田美奈子さんの歌唱による作品で、マンドリンを前面にだした歌は「アマリア」だけである。郷愁を呼ぶのだが、私たち日本人にとっては古賀政男の初期作品に対する郷愁だろう。筆者は昭和29(1954)年生まれなのでまったく同時代の経験はない。それでも郷愁を覚えるのは唱歌に対する郷愁と同じである。身に覚えのない郷愁だ。