八ツ場ダム建設予定地を訪れた前原国土交通相。住民側が対話を拒否したこともあり、大きな話題となった |
10月9日、前原国土交通相は、こう宣言した。
「(48のダム事業について)年度内に工事の各段階に新たに入らないことと致します」
急ピッチで進む公共事業の見直し。全国に激震が走った。多くの人、金を巻き込んできた公共事業をなぜ中止しなければならないのか、そこからどのような問題が生じるのか――。震源地となった八ツ場ダムにカメラを入れ、地元住民の本音を追跡。そして、民主党の政策にも影響を与えた、ダム反対のキーマンを直撃取材した。
全国から批判が殺到。
孤立感を深める地元
八ツ場ダムの地元、長野原町は群馬県の北西部にある。ダムは、ここを流れる吾妻川の水をせき止めてつくられる予定だった。水没予定地には、現在100あまりの世帯があり、高台に造成されている代替地へ移転している最中だ。町の顔となっている7軒の温泉宿も、代替地で新たな温泉街を開く計画となっていた。
今も工事がつづく八ツ場ダム |
いま、町役場には全国から批判の声が殺到している。9月23日、前原国土交通相がダムの視察に訪れた際、住民側は対話を拒否した。新聞やテレビで事実を知った人々が、「ダム建設中止は民意だ」「中止を受け入れろ」と手紙やメールを送ってきたのだ。その数は4000通にものぼる。
「私たちの思いは、なかなか分かってもらえない」、住民は困惑気味に話した。
反対から賛成へ。
公共事業に翻弄された人々
町の顔、温泉街。開発が遅れ、老朽化が進んでいる |
地元の人々が「ダム建設」にこだわるのはなぜか。現実の問題として、事業が大幅に遅れているために、町の開発が進んでいない、ということがある。しかし、町の人が強調するのは現在進行形の問題よりもむしろ、ここに至るまでの57年という「時間」だ。
長野原町にダム建設の話が持ち上がったのは昭和27年。下流域の洪水を防ぐため、そして後に、「首都圏の水がめ」という目的が加わった。昭和40年に、事業の推進が本格化すると、水没予定地に住む人々を中心に、激しい反対運動が起こった。
しかし建設省は、昭和42年、地元に「調査出張所」を設置。一方で駅前には「生活再建相談所」ができ、「ダム建設」は「地域振興」とセットで語られるようになっていく。そして、「補償金」「補助金」といったカネの噂が絶えなくなったという。次第に「ダム賛成派」が生まれ、反対派と対立。地域のコミュニティーは分裂していった。
反対運動の渦中にいた、竹田博栄さん(79)は言う。
「人間同士のいざこざというのも随分ありましたね。疑心暗鬼と言うんですかね。何かというとすぐ、カネ儲けだとかね・・・」