人生の自由を獲得するための
代償とは?

神保 いろいろ話をお聞きしてきましたが、この『嫌われる勇気』というタイトルと、本の帯にある「自由」というのはどのようにつながってくるんでしょうか。そのあたり最後にお聞かせ頂けますか。

岸見 人に合わせていると誰も自分を嫌わないんですよ。八方美人になっているということです。でもそういう人の生き方は非常に不自由だとアドラーは考えます。自分の周りに自分を嫌う人が一人もいない人は、不自由な生き方をしている。逆に、自分のことを嫌う人がいるとすれば、その人は自由な生き方をしている。もっと言えば、それは自由に生きていることの証ですし、自由に生きるためにはそれくらいは払わなければならない代償だと考えます。

神保 でも、自分を嫌う人がいるというのはストレスになりますね。

岸見 うーん、なりますかね? 私はそうは言わないです。

神保 そのようになってみないとわからないということですか?

岸見 そのように思えない人たちはすぐには変身しないでしょう。Facebookですぐに「いいね」を押さないと嫌われると思うわけでしょう。そんなことやってみないとわからない。でも、一度もしたことがないことはできないんですよ。

神保 それも勇気がいるということですね。

岸見 ただ、生きるか死ぬかという話ではないわけですから、さしあたり1週間Facebookを休んでみるくらいのことはできるかもしれない。1週間が無理なら2日だっていいんです。それでどんなことが起こったかを見るようなお試し期間を設けることならできるでしょう。

神保 でもそれで実際に友達の輪から外されたりする人も出てくるかもしれないですね。そういう相談があったらどうされますか?

岸見 カウンセリングなら、それは良かったじゃないかと言いますね。何が良かったんですかと聞かれたら一緒に考えますよ。悪いことばかりじゃないはずです。朝から晩まで、お風呂に入るときまでSNSを見ているわけでしょ、若い人って。でもそんな生活から自由になれたならすごく楽になったと思わないですかと、僕はそんなことを言うと思います。

神保 なるほど、スマホ症候群ってやつですね。

宮台 ちなみに、僕はカウンセラーではないので、相談事を持ち込む学生や取材などで会った人にアドラー的なメッセージを語って、けっこう嫌われます(笑)。「カウンセラーは『君が悪いんじゃない』と言うだろうが、自分で選んでいるんだから君が悪い」と言うと、「もうお前とは話さない」みたいになる。

神保 冷たいよね、とかね。まぁ仕方ないよって言ってあげたほうが相手は喜びますよね。

宮台 僕は「仕方ないよ」とは絶対言いません。何だってやりようはありますから。最近も若い人に「未来に実現したい幸せをイメージして、それを目的にすれば、いろんなことができるよ」と言ったら、「それは恵まれた人が言うことで、自分みたいにトラウマを抱えた人間には無理です」と言われました。

神保 しかもトラウマなんてないっていう話ですからね。それを、自分でトラウマを絶対的なものだと思っている人に言うわけだからね。

宮台 その際「それは言い訳だ。変わりたくない人はトラウマを持ち出す。新しい目的に沿って新しいことをしてみれば『自分は思っていたような自分じゃなかった』となって、ますます新しいことができる」と言って、また嫌われる。僕は短時間の1回しかコミュニケーションできない場合、嫌われても言います。

岸見 そういう場合、カウンセリングだと戻ってくる人もいるんですよ。何年か掛けてね。

神保 やはり先生の言うとおりでしたみたいな感じですか?

岸見 そうですね、ただそういうのは本人に任せるしかないので、こちらからまたおいでとは言わないです。

神保 先生はアドラー心理学のカウンセリングとしてそのようにやってらっしゃると思うんですが、他の流派だとどうなんでしょうか?

岸見 それはわからないですね。もしかするともっと熱いかもしれません。私は自分が冷たいとは思いません。自分では「涼しい」と言っていますが(笑)。ただ、それくらい距離がないと問題は解決しません。カウンセラーも同じように悩んで巻き込まれてしまっては、カウンセラーと患者さんが共依存になってしまいます。だから、カウンセラーも患者さんに嫌われる勇気を持たないと無理だと思います。
 実際の私は、かなり悩むほうですよ。すごく患者さんのことを心配するし関わりたいとは思うけれど、でもやはり距離を置かないとしんどいです。別にその人を切り捨てるつもりは全くないですし、なんとか力になりたいと思っているのが基本なんですが。