価値に考慮されるのは「社会平均」
「手間がかかっていれば価値が大きくなる」「その商品をつくり上げる労力が多いと、価値が大きくなる」のです。
ただ、こう説明されると、ひとつ矛盾を感じます。効率が悪く長時間かけてつくった商品は、手際良くつくった商品よりも「価値が大きい」ということになってしまうのです。だとしたら、わざとゆっくり、無駄を多くして商品をつくれば、「価値が高い商品」ができ上がるということになります。
当然ながらそんなことはありません。ここが矛盾しているように思えます。ここはどう説明するのでしょうか?
マルクスは、商品の価値の大きさは「社会一般的にかかる平均時間・平均労力」で決まるとしていました。
商品をつくり上げるのにかかる手間や必要な労働量は個人個人で違います。ですが、商品の価値はそのような個別の事情によって決まるのではなく、その商品の価値は「その社会で平均的に考えて、必要な手間の量、時間の量」で決まるのです。
・この商品をつくるには、通常これくらいの労力がかかる
・この商品の原材料は、一般的にこれくらいの量が必要
私たちも「この仕事だったら、これくらいかかりそう」という感覚値を持っています。それと同じで、社会一般的に認識されている「必要量」があるのです。
仕事やモノによって、社会一般的に必要な労働量が想定されています。その必要労働量が「商品の価値」としてみなされるのです。
ですから、わざと効率を悪くして、労力をかけても「商品の価値」は上がりません。また、社会平均で2時間で終わる仕事を、自分は10時間かかって行っても、「5倍の価値を生み出した」とはなりません。あくまでも社会平均で考えられるのです。
「モノの価値は、社会平均的な労力の大きさで決まる」
これを読んで「だから何?」と聞きたくなっている人もいるかもしれませんね。しかし、これこそがみなさんの給料の決まり方を理解するうえで、また生活に余裕を出すために、非常に重要なポイントなのです。