伝え方は「究極の寄り添い術」であり「究極の準備術」
佐々木 猛獣使いみたいですよね(笑)。僕はクリエイターとして「どれだけ猛獣になって暴れられるか」を目指す仕事のケースもあるのですが、一方で、プロデューサー的に猛獣使いにならないといけないこともあるんです。難しいですよね。
福岡 自分の本を作って改めて思ったことは、伝えることは本当に難しい、ということです。その意味で佐々木さんの『伝え方が9割』を読んで、思うところがあったんです。それは、佐々木さんの言う伝え方とは、「究極の寄り添い術」であり、「究極の準備術」ではないかな、ということ。
寄り添うというのは、「相手のことを思う」ということですよね。『情熱大陸』のドキュメンタリーでも、現場のディレクターは、やっぱり相手のことにちゃんと思いを馳せないと難しいんです。相手のことをどう考え、寄り添って視聴者に伝えていくことができるか。
また準備というところでいえば、テレビはまさに準備がいるんです。映画と比較するとわかりやすいんですが、映画はお金を払って見る準備をしてから見るんですよね。ところが、テレビはそういう準備が整っていないところで、やらないといけない。
例えば、泣くシーンがあったとしたら、そのシーンまでに「滑走路」がいるんですよ。いきなり泣かれても伝わらない。滑走路があって、そこを抜けていくから伝わるんです。『伝え方が9割』を読んだ印象は、準備の大切さがしっかり書かれていて、テレビの編集と似てるな、ということでした。ああ、こんなところに共通点があるんだな、と。
佐々木 寄り添ってる、というのは、たしかにそうなんです。
福岡 ただ、誰かを誰かに伝える、という場合には、寄り添う難しさもあるんですけどね。寄り添い過ぎても伝わらなくなる。『情熱大陸』の場合は、寄り添い過ぎになったときに、プロデューサーの立場の人間がどうするか、が問われてくると思うんです。
寄り添い過ぎて、いいことばかり積み重ねられても、見ているほうは気持ち悪くなる。それで、「いや、本当にこの人はこういう人なのかな」と言わないといけない。
寄り添わないといけない一方で、取材者というのは、もうちょっと一歩引いた目線というのも必要で、これが難しいところなんです。僕が教わった話で思えているのは、「花束とナイフを両方持つ」ということです。
花束を持っていないと、相手は心を開いてはくれない。でも、花束ばかりあげていたら、単なるPR番組になってしまう。そこで、ナイフが生きてくる。ただ、ナイフばかりでは、相手は心を開いてくれないから、突きつけるだけで終わってしまうんです。この兼ね合いが難しいんですよね、取材者は。
佐々木 毒も必要だということですね。『情熱の伝え方』では、「オレはここまでダメだった」というところからの急上昇という爽快感がありました。「もしかしたら、僕らでもできちゃうかもしれない」と思わせてくれて、勇気も与えてくれる。
エピソードにも、「あんこの甘さは塩で決まる」とか、「いい香りの香水には、実は臭い香りも入っている」というものがありましたね。「なるほど」と思いました。
僕の伝え方でいえば、これは「ギャップ法」という表現をさせていただいているんです。正反対のものを入れることで強くなる。「あなたが好きです」と言うのではなく、好きの反対の言葉「嫌い」をうまく使う。
「嫌いになりたいけど、あなたが好きです」と言うと、強くなるんですよね。僕は言葉についてそういうことを考えているんですが、福岡さんは映像として、番組として、自然にギャップを意識されているんですね。