このエンジンの開発には7年もの月日を要した。そうなると、途中で投げ出すエンジニアも出てくる。先が見えないからだ。そんな折に、あるリーダーが定期入れから自分の子どもの写真を引っ張り出してこう言った。

「皆、この写真を見てくれ。俺の子どもだ。この子は……実は小児ぜんそくなんだ。だから俺は誰でもない、この子のために、このエンジンを完成させたいんだ」

 社会のためなんかじゃない。他人の子どものためでもない。自分の子どものために何としてもこのミッションをやり遂げたい。きれい事のようで、きれい事じゃない。まさに自分事化だ。これは子どもを持っている、特に同年代のエンジニアの心をとらえた。

 どちらの表現も、やはり絵が浮かぶ。自分の子どもが将来、幸せそうにしている絵は、それぞれの親の心には必ず思い浮かぶであろう。

 また、「男は一生に一度~」も「東海道線からも見える。それを見るたびに~」という場面も映像が目に浮かぶ。東海道線に乗っている自分と自分の家族の映像だ。富士山頂のレーダードームが見えてきて、子どもに自慢する……。

 こんなふうに、そのシーンが目に浮かび、大義名分があり、さらに自分事化もできる。このような表現型を目指さなくてはいけない。

 もちろん、実際には東海道線から富士山頂のレーダードームは見えない。双眼鏡を持って、出張の度に確かめた。見えなかった。でも、それはいいのだ。そんなふうにリーダーから言われたら、心の目で見えるものだ。みんな信じたいのだ。そこを突く。もちろん、だまそうと思っているわけではない。見えなくても、誇ることができる。そこが肝心だ。ぜひこういう表現を心がけてほしい。

部下や仲間に刺さらないビジョンでは
万民を納得させることなどできない

 ビジョンを描くという意味では、夢という要素が一番大きいのだが、私が今まで一番興奮した夢は、「1960年代が終わるまでに人類を月に送り込む」というジョン・F・ケネディ合衆国大統領の言葉だった。これを聞いたときは、すごく興奮した。

 考えてみれば、これはアメリカ人の夢だったのだが、当時の日本人はアメリカ人が行けるのであれば、自分たちも行けるかもしれないと勘違いをしていたから、この決意を聞いて、自分も大人になったら月で働けるのではないかと思っていたものだ。