前回、優れた表現には2つの特徴があると述べた。1つは、聞く者がその情景をあたかも目に見えるかのように想い浮かべることのできる表現だ。

 もう1つは何かと言うと、自分事(じぶんごと)化と大義名分の両方がメッセージとして発せられているということだ。

“自分事”にできない大義名分では、
メンバーを最後まで引っ張れない

前回も紹介したように、富士山頂レーダードームの建設における、「伊勢湾台風の悲劇を繰り返してはならない!」は、まさに大義名分である。日本国民としてやらなくてはいけないといったメッセージだ。

 このメッセージを聞いた当時の日本人は「そうだ!」と思う。「よし、ひと肌脱ごうじゃないか!」。そう思って、この事業を実際に請け負った大成建設のチームは使命感を持ってプロジェクトに参加する。

 しかし、標高4000メートル近い場所にレーダードームを建設するというのは、至難の技だ。時間もかかるし、命の危険もある。実際、山頂での工事は、誰も経験したことのない壮絶なものだった。セメントを練るための水を探して、急斜面を何度も往復しなければならなかった。夏も熔けない永久凍土だから、雪解け水を探して掘り進む必要もあった。

 そして、恐ろしい高山病がメンバーを襲った。

 そんな状況が続くと、大義名分だけでは人は頑張れない。当然、脱落者も出てくる。

 大義名分には、最初に皆の背中を押す力があるが、困難を乗り越えて、ゴールに到達するまで人々を引っ張り続けることができるとは限らない。つまり、達成が困難でその道程が長い時には、大義名分だけでは不十分なのだ。

 ここにまた、第2のメッセージが生まれた。その言葉を発したのは大成建設富士測候所現場監督の伊藤庄助氏、当時29歳の若さだった。彼は言った。

「男は一生に一度でいいから、子孫に自慢できるような仕事をすべきである。富士山こそその仕事だ。富士山に気象レーダーの塔ができれば東海道沿線からも見える。それを見るたびに、『おい、あれは俺が作ったのだ』と言える。子どもや孫に、そう伝えることができる」

 彼は、一人ひとりにそう説いて回ったそうだ。これが、優れた表現の2つ目の特徴、「自分事化」である。

 社会に貢献できるという大義名分で第一歩を踏み出し、自分にとってどんな意味があるのかを知って、継続する力を得る。これこそが、理想的なビジョンの表し方なのだ。