第1話が、『巨大台風から日本を守れ~富士山頂・男たちは命をかけた~』、富士山頂レーダードーム建設の話だ。

 このレーダードーム建設の悲願は、構想から5年の歳月と、延べ9000人という人数の技術者たちを巻き込んで実現した壮大なドラマだった。着工したのは1963年、完成したのは翌64年、それから99年まで35年間にわたり、気象衛星にその役目を譲るまで、日本の気象観測の要だった。

 そこでまず語られた想いの表現は、

「伊勢湾台風の悲劇を繰り返してはならない!」

 というものであった。

 伊勢湾台風は、1959年9月26日に上陸し、東海地方を中心に全国に大きな被害をもたらせた。死者・不明者合わせて5000人強、負傷者約3万9000人といわれる。

 優れた表現には2つの特徴がある。

 1つは、ビジョンという名前のとおり、その情景や効果、理由などが目に見える、目に浮かぶような表現であることが大切だ。

 気象衛星がまだなかった時代の話だ。富士山頂に気象レーダーを設置することで、レーダー探知範囲をそれまでと比べて格段に広げるため、南方洋上から接近する台風を早期に発見できるようになる。

 日本で、レーダーを使っての気象観測の研究が、気象研究所によって開始されたのは1950年頃のことだそうだ。そして1954年に大阪管区気象台に気象レーダーが導入されたのを皮切りに、その後5年の間に、福岡、東京、種子島、名瀬(奄美大島)の5ヵ所にレーダーは設置された。

 しかし、当時の気象レーダー網には大きな問題があった。5ヵ所の気象レーダーはすべて平地に設置されていた。そのため、探知できる距離は、最大でも半径300キロ程度であったという。これは小さすぎる。台風の時速が仮に時速50キロだとすると、レーダーで台風の接近を探知しても、その6時間後には上陸ないし最接近してしまう。

 実際、レーダー網が完成した年に襲った伊勢湾台風に、このレーダー網は無力だった。

 富士山にレーダーを作ることができれば、それは約4000メートルの高さになる。高ければ水平線は遠くなる。計算では、約800キロ手前で台風を探知することができるとわかっていた。そうすれば、避難などの準備に充てられる時間は格段に増える。

 だから、日本で一番高い、しかもほぼ日本列島の真ん中にある富士山の頂上にレーダードームを設置することは悲願だった。しかし、これは非常に困難な事業だということは誰の目にも明らかだった。