「部長ですから、仕方ないです」
組織での権限はもはや“万能薬”ではない
リーダーシップの源泉として、最初に思い浮かべるのは、「公式的権限」というものだろう。すなわち、会社などの組織において階級が上の者の持つ権限である。前回の話に照らせば、「偉い人」の定義の7割から8割を占めているものがこれだ。
要するに何らかの長、あるいはグループリーダーといった肩書きには、組織が命令を下すことを認めているという意味が込められている。部長であれば、部という単位に対して、長として命令を下す権限を組織が公式に認めているわけである。
それは公の秩序であるから、その部のメンバーにとっては、組織が命令することを認めた人=部長からの命令は聞くのが当然である。このような了解がある。だから、その人の言うことを聞く。
つまり「偉い人」という感覚の多くは、自分が心底そう感じているわけではなく、組織が認めた、自分より偉い人という意味なのだということがわかる。
警察や軍隊のような組織においては、比較的にまだ公式的権限は効いている。非常時において、皆が勝手な判断をしたら危険だからだ。それでも、ずいぶん昔とは違ってきたといわれている。納得のできない、どうしても理不尽と思える命令に関しては、抗弁することが許されているそうだ。
ましてや民間企業では、あくまでもイメージではあるが、リーダーシップの源泉すべてを100とした場合、公式的権限の占める割合は多分、20から30に過ぎないと思う。
たとえば、リーダーシップがよく効いていると思われる組織を調査して、「なぜあなた方はそんなにあのリーダーの言うことを聞くのですか」「なぜ彼(彼女)の命令にコミットするのですか」と聞くと、ケースに応じていろいろな理由が出てくる。それで最後に、「第一、うちの部長ですから」となる。要するに、公式的権限は最後のネタに過ぎないのだ。
逆に、あまりリーダーシップがうまく発揮できていない、何となく組織がうまく活性化していない組織で、同じ質問をしてみると、「えっ? 聞いているってほどじゃないですけどね、部長ですから、仕方ないですから」と公式的権限が最初に出てくる。エクスキューズとして使われてしまう。
なるほど、公式的権限というものは万能薬とはもはや言えない。むしろ、これであまり人を動かそうと考えないほうが、スマートなリーダーシップが発揮できるということなのだろう。
ましてや公式的権限で一番強力な武器である査定、そうした評価で人を動かそうとするのは、今では最もプアなリーダーシップといえる。「お前、わかっているんだろうな」。そういうことを言うと、それこそ面従腹背になってしまう。