2002年イランでの経験

 2002年、私はイランの首都・テヘランで地下鉄に乗った。都心部の「イマーム・ホメイニ」駅のホームに入ってきた車両の隅に、メイド・イン・チャイナという金文字が光る金属の板が取りつけられていた。

 中国は、この地下鉄の建設工事を一手に請け負った。2000年2月に1号線が開通。契約金額は6億ドル近くだった。競争相手のヨーロッパ勢が提示した金額の3分の1で完成させた。それでも、中国が海外で請け負った機械・電機関連の建設プロジェクトとしてはそれまでの実績のなかで最大を誇った。2002年後半には、4号線の建設契約も中国企業が手に入れた。

 私のインタビューに応じてくれた地下鉄建設の総責任者、中国国際投資信託公司の卲錫全さんは、その仕上がりに胸を張った。

「長い間、私は日本からの技術導入を担当しましたが、いまや私たちも海外へ技術と資金を輸出するまでに成長したのです」

 実は地下鉄だけではない。イランでは発電所、ダムや大型石油精製所の建設にも、中国の企業がかかわっている。2002年、当時の江沢民国家主席がイランを訪問し、調印した経済協力協定のひとつは、カスピ海に通じる高速道路の建設だった。カスピ海は、北海に匹敵する石油埋蔵量の豊富さで知られる。

 道路の設計に携わる中国人技術者とともに、山奥の建設現場を訪ねた。険しい山にいくつもトンネルを掘る難工事だが、「問題ありません。高速道路づくりには慣れています」と技術者は淡々としている。

 いまから数えると、12年前の話となってしまうが、自分の書いた当時のコラムや撮影した写真などを探し出してあらためて確認すると、記憶が蘇り、現場で見た光景や人々との会話などがDVDの映像のように鮮明に再生できた。しかし、12年後のいまの中国は、インフラ分野での海外進出においては、すでに当時のレベルを飛び越え、さらに高い目標を目指している。