訪れたクジラ料理店の『ツチクジラの刺身』ドリップ(血が混じった肉汁)が出ていないことに注目

 ところが和田浦で食べたツチクジラの刺身は旨かったのだ。やや頼りない食感のレバー刺しのよう……といえば伝わるだろうか。火を通しても若干のレバー臭は感じるが、濃い旨味は悪くないし、軟らかく、筋などは感じない。風味はヨーロッパで食べられる血のソーセージに似ている。ナガスクジラやミンククジラなどと比べるとたしかに癖が強いが、調理法次第という感じだ。

 竜田揚げというのはやはり定番だけあって、生姜の味がレバー臭を緩和し、濃い目の味つけが美味しい。脂のないクジラの肉に油分を補うという意味でも、揚げ物というのは適した調理法なのだろう。どこまで血の風味を抜き、味を残すか。臭いを香りに変えるのが、料理人の腕の見せどころだ。

 味もそうだが、人の多さにも驚いた。観光客と思われる人々がクジラ料理に舌鼓を打ち、席を待つお客さんが店の外で列をつくっていた。

クジラは食べるべきなのか
解体から考える「文明」と「文化」の違い

 解体に話を戻そう。

 クジラを解体する人は「解剖屋さん」と呼ばれている職人集団である。クジラの仕事とともに全国をまわっていて、ここ和田浦での仕事を終えると、三陸沖や北海道などに向かうそうである。彼らが切り込みを入れた皮をウインチで引き剥がす。

 そのあと、恐ろしく切れ味のいい刃物で、クジラがばらされていく。思ったよりも血の臭いはしないが、腹部に包丁が入った瞬間、動物園を連想させるような獣の臭いが一瞬、強くなった。クジラは魚ではなく、巨大な獣なのだと改めて気づかされる。例えればクジラは海のジビエなのだ。

引き上げられるツチクジラ。全長11mを間近で見ると迫力がある。見学人の数はこの後も増え続けた。

「あの肉は美味そうだ」

 ロープ越しに解体される様子を眺めていると、他の観光客がもらした感想が聞こえた。この光景を眺めて美味そうだ、と言葉が漏れるのは日本人だけだろう。

「クジラの肉って柔らかいんだね。プリンみたいだ」

 観光客たちは解剖屋の仕事を興味深げに眺めている。人間と同じ赤い血が流れるクジラを解体するのは残酷なことだ。でも、現場を見ていると不思議なことに、あまりそういった感情はわいてこない。そこにはなんの政治的思惑もなく、秘密もない。ただ、人間が他の生物の命を奪うことでしか生存していけないという現実と、生き物としてのクジラが食べものに変わっていく過程があるだけだ。