国会議員の「世襲制限」を総選挙の公約とするかが与野党ともに焦点となっている。現在、自民党全体の約4割が世襲議員である。政治家の息子が親の地盤を継承して政治家になるのが当たり前となり、能力があっても庶民が政治家になるのが困難であることに批判が集中している。

 「世襲議員」とは、基本的に親族が作った選挙区での地盤をそのまま継承して選挙に当選した政治家のことを指す。但し、笹川堯氏や石原伸晃氏など地盤を引き継いでいない場合でも親子などの親族関係があれば世襲議員とみなす場合もある。要するに、マスメディアや識者などが「世襲議員」を取り上げる際、その時々でその範囲がバラバラであり、そのために少々議論が混乱しているようだ。そこで今回は、「世襲議員」の中で、特に「閨閥議員」について考えてみたい。

かつて、総理大臣に「世襲」はいなかった。

 「世襲」という観点から戦後の歴代内閣総理大臣を振り返ると、吉田茂氏から海部俊樹氏まで、鳩山一郎氏のみを例外として14人が「出自が門閥も財力もない庶民階級からの出身」である。逆に、宮澤喜一氏以降は、村山富市氏、森喜朗氏を例外として、8人が世襲議員だ。つまり、日本の政界では90年代前半までは、出自に関わらず優秀であれば総理大臣になれたということだ。

 但し、海部氏以前の総理の多くは現在、住友家、三井家、ブリジストンの石橋家、鹿島建設の一族、大正製薬の上原一族、森コンツェルンの森一族、昭和電工の安西一族、住友銀行元会長の堀田一族、日本郵船元社長の浅尾一族、日清製粉の正田家といった実業界、そして天皇家まで縁戚関係となっている。これを「閨閥」と呼ぶ。歴代首相の多くは本人が名門家系の令嬢と結婚するか、子供の結婚で名門家系と縁戚になることで「閨閥議員」となって総理の座に昇ったということだ。

 吉田氏から海部氏までの戦後総理で官僚出身者は7人。かつて、官僚となり「閨閥」入りすることは政界への最短コースだった。総理経験者以外でも愛知揆一、津島寿一、前尾繁三郎、橋本龍伍、村山達雄、金子一平、相沢英之、山下元利、大原一三ら、戦後政治の中核を担う政治家たちが庶民階級から官僚組織を経由して輩出されてきた。

 また、池田氏、大平氏らは娘婿に官僚を選び後継者とした。福田氏も地盤継承はないが、娘婿の大蔵官僚・越智通雄が国会議員となった。首相経験者以外でも、愛知氏など娘婿を後継者としたケースは多い。かつて政治家の地盤は親子間の「世襲」よりも、「閨閥」入りした官僚に継承されるケースも多く、庶民階級から政界入りする1つの道として確立していた。

 「閨閥」入りが政界への道というのは前時代的だ。しかし、私はこのエリート選抜システムに一定の評価を与えている。完全な自由競争・能力主義が確立できるなら一番いいが、現実の社会には支配者層・既得権を持つ層が存在するもので、その制約下では日本のシステムは優れていたと考えるのだ。