「佐高とのつき合い」が知れると
友人が離れていく

 しかし、岸井にとっては、もっと覚悟の要ることだったことは、次の「おわりに」を読めば明らかである。

 <佐高信との対談の話を聞いた時は、正直なところ、「悪い冗談だろ」と思った。
 激辛の評論家として知られているだけでなく、政界、財界のみならず文化人や、同じ仲間の評論家、ジャーナリストまで、正に当たるを幸いという感じで、斬って斬って斬りまくってきた。その容赦ない刃は、「毒」を含み、ある種の「狂気」をはらんでいる。
 穏健な常識人がまともにつき合える相手ではない。
 ところが幸か不幸か、はたまた前世からの因縁か、佐高と私は慶應義塾大学法学部の昭和42(1967)年卒の同期生であるばかりか、峯村光郎教授の「法哲学」ゼミで一緒だった。もう40年以上のつき合いになる。「佐高とは古い友人だ」と聞いただけで、どれだけ多くの人が眉をひそめ、私を警戒の目で見るようになったか。「佐高とは割と深いつき合いが続いている」と聞いて、どれだけ多くの友人を失いかけたか、佐高は知ろうともしない。
 対談に応じれば、一気に多くの友人を失うことは目に見えている。聞き流していたら、「岸井は逃げるのか!」と佐高が言っているという。敵に背を向けるわけにはいかない。
 そんなことで、何の準備もないまま、佐高の「妖剣」を受けることになった>

 「以下略」だが、岸井の述懐がオーバーではないのだなと実感する場面があった。

 安倍晋三が病気で一度首相を辞め、不遇のころだったと思う。岸井と私が夫婦で夕食を共にし、店を出たところ、赤坂の通りで、バッタリ安倍と会った。安倍は新党改革の荒井広幸と一緒だった。

 前を歩いていた岸井と安倍が「やぁ」と挨拶をし、安倍は手を挙げて微笑んだが、後にいた私に気づいて表情を硬張らせ、挙げた手をそのままストップさせた。安倍批判の急先鋒だった私には、願うことなら、会いたくなかったのだろう。ぎごちない感じで安倍と私は名刺交換をしたが、この一件で、安倍の岸井に対する印象が変わったことは間違いないと思われる。