90年代後半に欧州で仕事をしていたときに、フランクフルトにあるドイツの中央銀行“ブンデスバンク”をよく訪問しました。入口にいる警備員がマシンガンを持っていて、警備も厳重でした。そこでブンデスバンクの方々とさまざまな議論をしました。引退したシュレジンガー元総裁とも何回か話しました。話をしてみてよく分かったのは、ドイツの経済政策の基本には、大いなる「トラウマ」がそのベースになっているということです。

インフレとナチスのトラウマ
ドイツの経済政策の背景

 ドイツの歴史上の最大の悲劇は、なんといっても第2次世界大戦の敗北です。しかし、それを招いたのは第1次世界大戦後に「ハイパーインフレ(急激なインフレ)」で社会が乱れたことであり、それに乗じてナチスが台頭したことです。つまり、インフレにさえならなければ、ナチスの台頭もなかったし、第2次世界大戦もなかった。そのインフレを招いたものは、国が借金を重ねてお金をばらまいたことでした。こうしたトラウマから、ドイツはインフレを誘導する経済政策に対する嫌悪感が著しいのです。

 現在、ドイツの経済政策はフライブルク学派がベースになっています。その特徴的な考え方は以下のようなものです。通貨価値の維持(通貨の大量発行による“インフレ”と“通貨安”をしない)、国債を発行することにもなる財政政策は景気対策として使わない(景気対策は規制緩和によって企業中心に行う=構造改革)、その場しのぎをせず将来の成長を考える、というものです。

 ユーロ導入以前、ドイツの通貨はマルクでした。ドイツでは第1大戦後のハイパーインフレからの脱却を狙って、1923年に臨時通貨としてレンテンマルク(レンテンとは英語ではRentで地代等の意味)を、土地を担保として発行し、その結果、急激にインフレは収まっていきます。その後、新しい法定通貨としてライヒスマルク(ライヒスとは国の意味)に引き継がれていきます。さらに、戦後、1948年にドイツの悪癖であったインフレを断ち切るために西側勢力によって、新たに(ドイツ)マルクが導入されました。このように、ドイツの経済政策の歴史を振り返ると、通貨価値の維持が至上命令の通貨だったのです。その伝統をドイツは今でも大事にしています。

改革の断行の方が
首相に再選されることより重要

 その後、ドイツは1990年に大事業であった東西ドイツ統一を行いましたが、結果的に財政赤字は莫大な額になり、さらに景気の低迷が追い打ちをかけて「欧州の病人」とまで言われるようになってしまいました。