令計画落馬に際して
胡錦濤はどう動いたのか

 ここで1つのクエスチョンが生じることになる。前述したように、江沢民は側近の周永康を守れなかった。習近平は周永康落馬、そして逮捕を頑なに断行した。それでは、胡錦濤は自らの側近であった令計画を守れなかったのか。

 私が複数の共産党関係者から聞き、日米中の有識者と議論した限りでは、胡錦濤は令計画を守れなかったのではなく、守らなかった。そもそも守ろうとしなかった、ということだ。

 胡錦濤が国家主席を退任した2013年3月まで共産党内で要職を務めていた幹部は、胡氏の処遇を以下のように表現する。

「自らが総書記あるいは国家主席を務めていた時期であれば令計画を守るべく智慧を働かせ、動いたであろう。2012年11月、総書記だけでなく中央軍事委員会主席の座も退いてからというものの、胡錦濤は習近平の決断や政策に口を挟んでいない。習近平から相談されれば意見を述べているようであるが、習近平の足を引っ張ったり、その政策を故意にプッシュしたり、ストップしたりはしていない」

 2014年という建国65周年にあたる節目の年に、周永康を守れなかった江沢民と令計画を守らなかった胡錦濤。“改革開放の総設計師”と呼ばれてきた鄧小平によって指名された2人の前国家主席は、冒頭で記したように、国慶節レセプションにおいて、鄧小平によって選ばれていない“改革の新設計師”・習近平現国家主席の“乾杯”に笑顔で応えた。その場面は、スタンスや心境は異なるが、江沢民・胡錦濤両氏が習近平のやり方を認めた事実を物語っているかのように、私には見えた。

突然だった
“周永康処刑”

 本連載でも検証してきたように、習近平総書記は就任以来、王岐山中央規律検査委員会書記を右腕として、反腐敗闘争を大々的に展開してきた。上記の周永康・徐才厚・令計画という三大巨頭を“落馬”させたプロセスも、中国共産党政治からすれば、“反腐敗闘争の一環”、そして2014年10月に開催された四中全会で中央委員会全体会議史上初めて集中討議の議題として挙がった“法治”を徹底させる一環として宣伝している。

 四中全会直前に執筆した第37回コラム(四中全会は習近平政権の権力基盤を計る試金石:アジェンダを「法治」とした指導部の思惑とは、2014年10月21日)にて、「周永康“落馬”事件には、習近平総書記が党内権力基盤を固め、人民に対して反腐敗運動をアピールし、清廉な為政者・政権というイメージを打ちたて、共産党の威信を確立するために強行した、という側面がある…(中略)この案件を皮切りに、“制度性反腐”(政治ではなく制度に基づいた反腐敗政策―筆者注)、そして中国の歴史上軽視されてきた法の支配(the rule of law)という制度基盤をどれだけ、どこまで構築できるのか。習近平総書記率いる昨今の中国共産党政治の本気度と方向性を占う上で、四中全会がひとつの重要な契機になることは疑いない」と書いた。