周永康事件が中国共産党政治史にもたらした核心的なインプリケーションは、中央政治局常務委員経験者が初めて“落馬”したという部分に見いだせる。この歴史的事実をもって、「聖域は取り払われ、これからはすべての人間が落馬の対象になる」と主張するチャイナウォッチャーもいる。私はその主張を100%肯定する根拠も、100%否定する根拠も持たない。

 習近平主席と王岐山書記は“虎もハエも叩く”をスローガンに掲げながら、反腐敗闘争を進めてきた。そして、周永康落馬をもって、“聖域”は少なくともカタチとしては除去されたと見ることができる。

 一方、「周永康は“最大の虎”ではない」という見方をする党関係者も少なくない。中国共産党内外には「これで終わりではない」という政治的緊張感が充満しているように私には感じる。

「周永康が大物であり、常務委員経験者である周を落馬させた意味は大きい。ただ、周永康を落馬させることの難しさと複雑さは、江沢民、曽慶紅、温家宝と比べればたいしたものではない。周永康は真の意味での腐敗の温床ではないからだ」。昨年12月中旬、前出の習氏に近い共産党関係者が北京で私にこうも語っている。

 習近平は周永康を逮捕したことを以て、“最大の虎”を仕留めたと思っているのか。それとも、その先を見据えているのか。見据えているとしたら、その目的や動機は何なのか。見据える先を仕留める過程で、四中全会で垣間見えた独自のバランス感覚や政治スタイルをどう発揮していくのか。

 1月6日、新年早々、中国科学院上海分院が同院幹部の人事を調整するための会議を開いた。朱志遠氏が院長に就任、それまで院長を務めていた江沢民元国家主席の実子・江綿恒氏(1951年生)は“年齢的な理由”によって院長の座を退いた。

 2015年、習近平の政治が幕を開けた。