そして、19歳の春。カナダRCAレコードにガーシュイン作曲の”アイ・ガッタ・リズム”をピアノ・トリオで吹き込みます。これが彼の初録音です。その後、24歳でアメリカに進出するまでの間、RCAに断続的に録音します。その数は35曲にのぼります。荒削り感はありますが、圧倒的な超絶技巧。強靭な左手は驚異的です。最初期の天才の姿を知る隠れた名盤です(写真)

 こうして、地元モントリオールではちょっとは知られた存在になっていきます。

 しかし、オスカー・ピーターソンが世に出るには、もう一つの運命的な出会いがあったのです。

ノーマン・グランツとの伝説的な出会い

 時は、1949年の早春。

 JATP(Jazz At The Philharmonic)の主催者ノーマン・グランツは、米国ジャズのスター達を率いて行うJATPのカナダ公演の準備のために、カナダ・モントリオールに来ていました。仕事を終え、米国に帰るべく、モントリオール国際空港に向かってタクシーに乗っていたとき、ラジオ放送が聞こえてきました。素晴らしいジャズピアノの演奏に、グランツの耳が即座に反応します。

 そして、運転手に誰が演奏しているか尋ねると、運転手は「地元モントリオールの若きピアニストで、名はオスカー・ピーターソン。この放送は、モントリオール市内のアルバータ・ラウンジ・クラブからの生中継だ」と説明します。カナダのタクシー運転手が全てジャズに詳しい訳ではないでしょうから、凄い確率ですね。

 そんな説明を聞くや否や、グランツは運転手にアルバータ・ラウンジへ向かうよう命じます。そして、グランツはアルバータ・ラウンジで実際にピーターソンの生演奏を聴くわけです。演奏の合間にグランツはピーターソンに話しかけます。

「君は本当に素晴らしい。ニューヨークで僕が開催するコンサートに出演しないかい?」

 ノーマン・グランツ主催のJATPのことはジャズ音楽家ならば知らぬ者はいません。勿論、若く無名のピーターソンは半信半疑ながら快諾します。