メールを見ない相手を
“悪い”と決め付けてはダメ
次の事例を、あなたはどう思うだろうか。
開発部の三沢さんは、品質管理部の横手さんにメールを出し、資料作成の依頼をした。同じ工場内だが、開発部と品質管理部は離れていて、建物を一まわりしなくてはならない。
翌日の昼。2人はぱったり食堂で出会った。早速、三沢さんは、
「資料の件、お願いしますね」
「資料の件って?」
「昨日、メール送ったじゃないですか」
「え?……見てないよ」
「困るな、メールが届いたら見てくれないと」
横手さんは、むっとしたらしく、
「勝手言わないでほしいな。昨日は1日出張でいなかったんだ。今朝メール開けたけど、50件ぐらい入っていて、まだ全部見ていないよ」
「でも、こっちはメール送って頼んでおいたことだから」
「オレは、そっちのメールの番しているわけじゃないんだ。そんな大事な用件なら、なぜ、電話の一本ぐらい、よこさないんだ」
横手さんは、乱暴に言い捨てて、立ち去ってしまった。
メールは、見る可能性と同様、見ない可能性もある。メールを送ったら見ないのは相手が悪いと、決めつけていないだろうか。見る可能性だけにこだわっていたのでは、説得のメッセージは相手に届かない。
発信の手段はメールだけではない。大事な用件を伝えるなら、電話で相手の了解を得た上で、内容はメールで伝える方法もある。メールは記録に残る要素もあるのだから。
目の前の相手が
“聞き手”とは限らない
相手=聞き手ではない。発信=受信ではない。まず、こんなエピソードから。
わたしは、社員研修の講師を頼まれて、5月、ある会社にお邪魔した。応接間に案内されて、ソファに腰をおろして間もなく、若い女性がコーヒーを持って入ってきた。
「どうぞ」
コーヒーをテーブルの上に置く彼女の姿は、いかにも初々しく、思わず、わたしは声をかけた。
「キミ、新入社員ですか」
彼女の答えは、
「ミルク、入れますか」
だった。相手の耳に、わたしの言葉は届かなかったようだ。
「ええ、入れてください」