当初計画では東海道新幹線のバイパスの役割も
2015年3月14日、北陸新幹線が開業しました。それに向けて首都圏ではテレビもイベントも、この1~2ヵ月は「北陸」一色です(少なくとも北陸出身の私にはそう見える(笑))。
起案から実現までなんと50年。北陸新幹線は、官民一体となった北陸政財界の執念の賜(たまもの)といえるでしょう。
でもこの北陸新幹線、最初の地元案(1965年)では、東京・新宿・甲府・松本・富山・金沢・福井・京都・大阪を結ぶルートで、全長550kmのものでした。
このプランでわかることは2つ。
・北陸、に新潟は(ほとんど)含まれない。富山・石川・福井のこと
・東京から真西へ向かい、飛騨山脈をトンネルで突っ切って最短ルートを目指す
です。これは東海道新幹線の全長(実キロ)515kmに対して、十分競争力のある短さであり、「いざというときの迂回ルート」の名目も立つものでした。
しかし、北陸地方の人口の少なさ(3県あわせて300万人(*1))と、政治力の弱さ(北陸には田中角栄はいなかった)から、このプランはどんどん遅れ、かつ歪(いびつ)なものになっていきました。
*1 東海道新幹線の沿線4県(静岡、愛知、岐阜、三重)で、1514万人(2010年)。