

では、どのようにして成長の機会を手に入れるか。リーダーとしての潜在能力を最大限に開拓してくれる機会は何か。
私の答えはシンプルだ。小さくてもよいから、自分で完結できる責任をすべて任せてもらおう。任されたからには、他人のせい、環境のせい、などという言い訳は無用である。失敗もありだ(と構えて踏ん張ってくれるリーダーの元にいたいものだ)が、それを糧にして必ず成功するまでやり抜く。新規事業や海外事業の立ち上げなどはその典型であろう。
一方で、海外事業を任された若手の多くが、現地事業の開始期のもたつきを厳しく指摘する上司について“OKY(おまえが来てやってみろ)”と陰で愚痴っていると聞く。だが、真のリーダーなら、できることなら自らの手で最高のチャレンジに挑みたいはず。すなわちOKYとは、“いざとなれば、「俺が来て、やってみせる」”だろう。その最高の機会をほかならぬあなたに提供し、任せ、そして結果を貪欲に求めているのなら、OKYなどと愚痴ることなどないはずだ 。
もっとも、多くの日本企業では、世界で勝負する際どのような強みを活かし何をしたいのかが曖昧で、トップのコミットメントも感じられないケースも目立つ。そんな中で、もがき苦しみながら出る愚痴がOKYなのだろう。
本社が教えてくれないのなら、自ら腹に落ちるまで考え、自らの言葉で語ってみよう。そして、自分で局面を切り拓いていこう。
私はといえば、新生フィナンシャルの企画担当スタッフだった頃、いわゆる「総量規制」や「過払い」の問題で6年連続で収益が激減し、当社が生存するために不可欠と思われた苦しく重い大リストラ策の必要性を社長に直言した。すると、お前がやれと責任者として推進を任された。
そして筋肉質な経費構造を整えた後、収益が伸びないフロントラインの抜本的変革を求めて相変わらず社長に直言をし続けていたら、ならばお前がやれと今度は社長を任されることとなった。こうして求められ、任される機会を得たことは「苦しみ」ではあったが、今も心から感謝している。
なお、その後は無事に収益をV字回復軌道に乗せられたものの、密かに準備を整えていた海外事業は、残念ながら私自身がハンズオンで推進できないことになった。私より若く有能なスタッフに全権を委ね成長機会を提供できたのだから、皆のためにはよかったのだろう(本当は私がこの手で勝負したかったが、きっと彼らはその場を活かし、やがて私を越えていく )。