CPAOの入居している建物のあちこちに、助産院だった時期の名残がある。この写真は、平成元年(1989年)の助産料金 Photo by Y.M.
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「でも、福祉事務所のケースワーカーは、生活保護を利用し始めた翌月から『自立しましょう』と就労指導を始めたんです」(徳丸さん)

 といっても、10年間、専業主婦としてDV被害を受け続けているうちに、母親は年齢を重ねて40代になってしまっている。職歴は途切れたままで、資格もない。ハローワークで仕事を探しても、面接にこぎつけることもできない。その母親に対し、ケースワーカーは毎月、「今月は、何日、何時間、仕事を探したんですか?」と迫りつづけた。

「お母さん、さらに追い詰められて、『生活保護をやめたい』と言い出したんです」(徳丸さん)

 心身ともに追い詰められた母親と子どもたちが生き延びる方法は、生活保護以外にはない。徳丸さんは母親に付き添って福祉事務所に行き、ケースワーカーに状況を説明したが、ケースワーカーは「財源が足りない中で、働ける方には働いてもらいます」という紋切型の回答を繰り返すだけだったということだ。

 そこで母親は、ヘルパーの職業訓練を受けることにした。

 半年間の母親の職業訓練の間、下の子どもは保育園に通うことができていた。就労への圧力をかけられずに過ごしているうちに、母親の精神状態は少しずつ安定してきた。

「その半年間の職業訓練が、今年の1月に終わったんです。すると保育園から『やめてほしい』と。3月に向けて、卒園ムードが高まっている中で『やめさせる』という選択があるとは、私も思っていませんでした。お母さんが職業訓練を受けて、下のお子さんも保育園に入れて、小学校に入るまでは安定した生活ができるのではないかと思っていたんですが、そうはいかなかったんです」(徳丸さん)

 母親は、下の子どもの保育園生活を守るために、まだ回復しきっていない精神状態で、ヘルパーとして就職した。1週間働いたところで倒れ、入院し、また仕事に復帰した。

「保育園の次は、学童保育の問題があります。学童保育に入れるために、お母さん、今も働いています。でも、フラフラです」(徳丸さん)

 小学1年生になった下の子どもは、放課後は学童保育を受けている。母親はフラフラになりながら働き続けている。毎日、夜の7時や8時に帰宅しては倒れ込んでしまい、子どもたちの食事を作ることもできない状態だ。

「対人援助は、自身がしんどい状況にあるお母さんには、しんどい仕事なんです。でも、切羽詰まった中で、お母さんはその仕事を選ばざるを得なくて、子どもたちにシワ寄せが来ています。私、行政の無理解に、腹が立って仕方がありません。社会が、なんでこんなに、親子を追い詰めるようなことをするんでしょうか」(徳丸さん)