“自分”を抜け出して、まずは
そのままでいることが透明

 どんな人でも自分の考えというものが、一人ひとりの中にあるのですね。
 みんなで何かをするときは、その人その人の考えがありますから、互いが透き通った気持ちになって素直にお互いの話を参考にしながら、すすめていけばみんなが仲よくやっていけるわけですね。

 ところが、人には少しでも自分をよく見せたいとかよくなりたい、という気持ちが常にあります。
 自分の話すことにちょっとつけ加えたり、自分のことを説明したり、そうするとちょっと違ってくる。
 わたしはそういうのは透明に入らないのではないかと思うのです。
 透き通っていれば、人と向かい合って話すときも、素直にその人の話すことがすべてを受け止められるわけですね。

 つまり透明というのは、まず自分というものから抜け出して、そのままでいること。わたしは、とにかくふつうなのがいいですね。

 わたしのところには「真実に生きたい」といった手紙が多く届きますけれど、わたしは特別に真実に生きようとは考えていません。

 「やさしい」と言ってくれる人もいますが、特別にやさしくしているわけでもありません。
 今の自分以上のものになろうとは思っていないのです。

 真実というのは、もともと自分の中にあるものですから、透明になって真実に生きていれば、やがてそれが表にあらわれてくるのです。

 けれども、それがいつあらわれるかというのは、わたしたちにはわかりません。
 ですから真実に生きるというのは、何も特別なことをするのではなく、毎日毎日を精一杯、人様のお役に立つように祈るような気持ちで生活していくこと、それがすべてなのです。