世界30数ヵ国にレストランNOBUを展開、さらに2013年からはNOBUホテルも世界各地にオープンし始めているノブこと松久信幸氏。彼を支えるチームの1人、エグゼクティブ・コーポレート・シェフのトーマス・バックリーに、NOBUとの出会いや、シェフであると同時にマネジメントも行う立場について聞いた。(インタビュー:ダイヤモンド書籍オンライン編集部)
偶然からNOBUの一員に
――NOBUというレストラン、そしてノブ・マツヒサとの出会いは?
はじめてNOBUの料理を食べたのはニューヨークのフレンチレストラン、ダニエルで働いていた23歳の頃です。僕はイングランド北東部ヨークシャーの小さな港町の出身で、街で初めてスキヤキ・レストランがオープンしたのは19歳の時。そこで食べたすき焼きと酒が最初の日本食体験ですが、同僚と出かけたNOBUニューヨークの料理は今でもメニューを思い出せるほど感動的でした。ニュースタイルサシミ、ウニの天ぷら、ロブスターのアンティクーチョソース、寿司、和牛、そしてベントーボックスに入ったデザート。どれも新しい味でしたが、とくにロブスターはスパイシーなソースが新鮮でした。フレンチではロブスターにスパイシーな味付けをすることはなく、カレーを作ったことがあるくらいでしたから。サービスも素晴らしかった。
ダニエルで2年ほど仕事をした後、スペインに渡り、エル・ブリで無給で働きながら新しい料理を学びました。エル・ブリの料理は日本の懐石に似たところがあるのです。5ヵ月ほど経って生活費が底をつくころ、フランスのプロバンスでアメリカ人のための料理学校を開くというパトリシア・ウェルズから手伝ってほしいと仕事のオファーがありました。給料がとてもよかったので引き受け、仕事が終わったら現金で受け取ることになっていました。ニューヨークを出てからバックパッカーのような暮らしをしていて銀行口座も持っていなかったんです。
ところがパリでウェルズさんから受け取ったのは小切手。しかもその日からオーストラリアに発つので現金で渡し直すことができないと言います。この日は月曜日でした。小切手を銀行に持っていこうとしましたが、祝日だったのかストライキだったのか、なぜか銀行が全部閉まっていました。それで、わずかな現金をはたいて列車でロンドンに行き、兄弟の住むアパートに転がり込んだのです。このアクシデントのおかげで、僕はNOBUに入ることになります。