ほかのテレビと見分けがつかなかった「亀山モデル」
田端 しかし、「亀山モデル」って、今になって、その言葉を聞くと実に切ないですよね(笑)。一瞬、凄い液晶テレビのブランドになりかけたけど、失敗してしまった。本当に亀山モデルをブランドにしたいんだったら、フェラーリのようにずっとブランディングし続けないといけなかったんですよ。例えば、8K4Kのテレビとかいっても、そんな高解像度である必要はないってみんな言うじゃないですか。でも、そんなこと言ったら高級車の世界は、過剰スペックのオンパレードですよ。ほとんど都内で走るだけなのに、最高時速250キロとか絶対要らない(笑)。
ちきりん 本気出せば250キロ出せる車に乗ってるんだぜ、という優越感に価値を感じてるんですよね。
田端 その通りです。TUMIのアタッシュケースも、「防弾チョッキに使用している素材を使用」とか、「いやいや、『ミッション・インポッシブル』じゃあるまいし、撃たれることないでしょ!」って思いますけど(笑)。でも、それを持ってるってことで満足感を得られる。
ブランドは“他者評価”と“唯我独尊”の紙一重のバランスで成り立つと思うんですけど、「我が社はマーケティングリサーチなどしない」っていうプレミアム・ブランドってしばしば、あるじゃないですか。でも、その話を引いた構図でみましょう。先進国の富裕層は、マーケティング・リサーチの結果に基づいて、消費者に媚びたように作られた商品をセールスされることに、もう飽々しているわけです。でも、そんなところに、唯我独尊な態度の高級ブランドから、なぜか自分の声なんてまったく聞かれずに開発されたはずの製品が、なぜか自分のためだけにつくられたように思える。こんな魅力的なことはないですよ。カワイイだけの愛され系OL的な女性に飽々したプレイボーイの男性が、「私は男に媚びるつもりなど、一切ない!」とツンとすましている「高嶺の花」的な美人に心惹かれてしまうような構図です。こういうツンデレ・ブランディングが、消費者との阿吽の呼吸でできるブランドは強いですよね。
ちきりん あとフェラーリって、見た人が一瞬でフェラーリだってわかるじゃないですか。
田端 高級時計ブランドとかもそうですよね。
ちきりん でも亀山モデルって、見ただけではわからないんですよ。「亀山モデル」って書いてあるシールをとっちゃったら、ほかのテレビと見分けがつかない。ブランドって、自分で言い回らなくても分かってもらえることに価値があるのに。
田端 クルマや時計、カバンのブランドは、どうやって嫌味なく見せびらかせるか?違いを感じて貰えるか?こそがキモですからね。
ちきりん テレビという家のリビングに置く商品であること自体が、そういうブランディングに向かなかったのかもしれません。他人に見せびらかしにくい場所だから。
田端 そういうブランディングとか、需要を創造するところで、メディアって重要な役割を果たすべきものだと思うんです。僕からすると、Googleってマーケティングのためのメディアとしてはそんなにリスペクトすべきものじゃないかなと。検索連動広告はビジネス・モデルとしては大変にすばらしいですが、需要そのものは創造していませんよね。例えば「ゴールデンウィーク ハワイ」という単語を検索窓に放り込んでいる人は、すでにゴールデンウィークにハワイに行きたくなってる人です。
ちきりん 需要はすでにあって、そこでつくられているわけではない、と。
田端 Googleは顕在化された需要を刈り取ってるだけで、種まきしてないんですよね。ただ、よくできた雑誌は、種まきができるし、できてたんです。消費者本人も気づいていなかったような需要を顕在化することができる。これって、ゼロから1に付加価値をつくりだしてるってことなんです。それが、メディアの本来やるべきことですよね。
ちきりん 確かにそうですね。特にセグメントを絞り込んだ雑誌には、そういう力がありましたね。でも私、CS番組はまだ可能性があると思ってるんです。好みが似通った人に絞り込んでより深く切り込める上、ネットに比べるとまだ相当大きくリーチできるので。
田端 そうかもしれません。