川崎市で発生した簡易宿泊所2施設の火災は、高齢者の貧困・生活保護と住環境など、数多くの問題を浮き彫りにした。なぜ、このような簡易宿泊所が必要とされ続けているのだろうか? 同様の犠牲者を生みださないために、誰が何を行う必要があるのだろうか?

簡易宿泊所にたどりついた人々を
深夜に襲った大火災

火元となった「吉田屋」跡。ここから火災以前の姿を想像することは不可能だ 
Photo by Yoshiko Miwa

 2015年5月17日午前2時過ぎ、川崎市川崎区日進町で火災が発生した。火元は、木造3階建ての簡易宿泊所の1階と見られている。報道によれば、近隣のマンション住民が午前2時10分に119番通報(毎日新聞記事)。6分後には建物全体に火の手が広がっていたという(NHK・クローズアップ現代「ほかに行き場がなかった~川崎 簡易宿泊所火災の深層~」(2015年5月27日放送))。隣接する簡易宿泊所1棟も延焼し、2棟、延べ床面積約1000平方メートルが全焼し、10名が死亡した。居住していた74名のうち70名が生活保護を利用しており、多くは高齢者であった。

 現場捜索は終了と伝えられた5月26日、私は現場を訪れた。再開発の進むJR川崎市周辺は、クールなイメージのオフィスビルや商業施設が立ち並び、近未来的な風景が広がっている。現場は、川崎駅から道のりでわずか1.3kmほど。よく整備された公園があり、住宅やマンションが立ち並んでいる一角である。かつては、日雇い労働者・出稼ぎ労働者たちの「ドヤ街(ドヤ=簡易宿泊所)」として知られていた地域だ。

 とはいえ、「ドヤ街であった」という予備知識がなければ、もしかすると現在も残る簡易宿泊所の数々に気づかないかもしれない。それでも、よくよく見れば、かつては労働者たちを工事現場に送り込んでいたであろう企業の古ぼけた看板が、既に事務所としては使用されていないと思われる建物に残っていたりする。また、昭和20年代建造と思われるトタン造りの老朽住宅も散見される。時代に取り残された建物の数々が、都会的なマンションの足元に沈み込んでいるかのようである。

延焼した簡易宿泊所「よしの」。1階より2階、2階より3階が激しく燃えた様子が伺える。屋根は跡形もない
Photo by Y.M.

 火元となった簡易宿泊所「吉田屋」の焼け跡は、「ここに建物があった」と信じることができないほどだった。延焼によって全焼した簡易宿泊所「よしの」は、1階部分の一部が残っていたものの、2階部分は存在したことが分かる程度、3階は、「3階建てであった」と知らなければ分からない程度にしか残っておらず、屋根は全く残っていなかった。

 首をかしげながら撮影を続ける私の背後を、男子中学生の一団が「火がワーッと燃えているところを見たかったよなあ」と笑いながら通りすぎていった。背筋に寒いものが走った。高齢期に、生活保護と簡易宿泊所以外の選択肢を失う可能性は、誰にでもある。もちろん、私にもある。火災などの惨事の犠牲となって生涯を終えたら、こんなふうにネタとして消費され、そして忘れられるしかないのだろうか?

 民間の立場で生活困窮者支援を行っている大西連氏(認定特定非営利活動法人自立生活サポートセンター・もやい理事長)・行政の立場で貧困問題に取り組んできた元東京都副知事・青山やすし氏(明治大学教授、“やすし”の文字は人偏に八、月)に、この火災に関する数多くの疑問と受け止めきれない思いをぶつけ、答えていただいた。