18歳選挙権なんて意味がない?
「数」より「質」の議論が大事
安全保障関連法案の成立を目指し、戦後最長の95日間、通常国会が延長された。憲法学者からも「違憲」と見做された法案をめぐって燃え盛る国会議事堂で、戦後70年ぶりの改革が実現されたのを、読者諸氏は覚えておられるだろうか。
それが、国民が選挙に行ける年齢を18歳に引き下げる公職選挙法改正案だった。
筆者は先だっての記事「18歳選挙権実現!10代の若者は政治の変革者になれるのか」で「数の観点からすれば、18歳選挙権の影響は小さい」と断言した。なんとにべもないことを言うやつだ、と感じた方もおられるかもしれない。
しかしながら、筆者は選挙権の年齢を下げること自体には大賛成であり、むしろ影響が少ないならもっと下げたらいい、と考えている。冒頭に挙げた安全保障関連法案にしてみても、もし仮に本当に日本が戦争に参加することになった場合、戦争へ行くのは国会で安全保障関連法案を決めた高齢議員ではなく、まさに新しく選挙権を得た若者たちの世代であり、彼らに選挙権を与えるのは当然だと思う。
むしろ、筆者が伝えたいのは、選挙権年齢の引き下げをきっかけに「質」の議論を始めなくてはいけない、ということだ。つまり、若いうちから選挙に触れることで、将来的に投票の「質」を上げていくことに意味がある。
では、投票の「質」を高めるとは、具体的にどうすればいいのだろうか?
政治に直接影響力を持ちたければ「被選挙権」を行使する、つまり自らが立候補するという道もある。しかし、被選挙権は、選挙権と対をなす重要な権利であるものの、若者がその権利を行使するケースは極めて少ないのが現状だ。彼らの政界入りを阻んでいる「参入障壁」とは何なのか?
どんなに投票へ行け、と言われても、投票したい候補者が立候補していなければ投票できるわけがない。なぜ「被選挙権」の改革は何もなされないままだったのか?
筆者が与野党の政策秘書として2年半国会議事堂の内幕を生で見て来た経験と、民間企業で働いていた普通の感覚を活かし、「18歳選挙権実現」というキレイゴトの陰で政治の内幕に残り続ける、公選法の本当の問題点について解説する。