ベストセラーとなり、名著『幼稚園では遅すぎる』著者でソニー創業者の井深大氏も絶賛した、久保田競+久保田カヨ子著『赤ちゃん教育』(1983年刊、その後絶版)。
あまりに貸出が多く本がボロボロになり、国会図書館からも消えた。
アマゾンマーケットプレイスでは、1万56円のプレミア価格がついた。
そんな“0歳からの伝説の育児バイブル”が、最新の脳科学データをアップデート&190点近いイラストも一新して完全リニューアル!
Amazon.co.jpの「子育てジャンル」でも、発売以来ベストセラーになっている。
8月5日に行われた出版記念特別講演会も大盛況だったという。
脳科学の世界的権威である久保田競氏と『中居正広の金曜日のスマたちへ<金スマ>』(TBSテレビ系)で“脳科学おばあちゃん”と紹介された久保田カヨ子氏だが、クボタメソッドの原点はすべて『赤ちゃん教育――頭のいい子は歩くまでに決まる』にある。
「脳科学おばあちゃん」は、いかにして「脳科学」を学んだのか?
担当編集者も知らなかった、久保田競氏が語る貴重な秘話を紹介する。
東大から京大霊長類研究所へ行った理由
(Kisou Kubota)1932年生まれ。医学博士、京都大学名誉教授。世界で最も権威がある脳の学会「米国神経科学会」で行った研究発表は日本人最多の100点以上にのぼり、現代日本において「脳、特に前頭前野の構造・機能」研究の権威。2011年、瑞宝中綬章受章。『ランニングと脳』『天才脳をつくる0歳教育』『あなたの脳が9割変わる!超「朝活」法』など著書多数。
ポリオ(急性灰白髄炎、小児麻痺)はウィルスによる感染症で、多くは「カゼ」のような症状が出て終わるのですが、1000人に1人の確率で手足の麻痺が残ります。
流行が大きかった昭和24~36年頃には、ポリオの年間患者数は1000~5000人で、死亡者は100~1000人に達していました。
日本では、生ワクチンの予防接種をするため、1980年以後は患者は発生していませんが、WHO(世界保健機関)が世界的に根絶する計画を実施していますが、まだ実現されていません。
この生ワクチンは、ロシア生まれのアメリカ人医師で免疫学者のA・セービンが、1956年にサルの腎臓を使ってつくるのに成功しました。
なぜ、サルの腎臓が必要なのか、その理由はわかっておらず、サルの生物学的、医学的研究が必要とされ、京都大学に霊長類研究所が創設されることになりました(1967年)。
このことが、私の人生の方向を変えることになったのです。
当初所長に予定されていた恩師の時実(ときざね)先生から、「サルでいくらでも研究できますよ、行きませんか?」と、京大への移籍をすすめられたのです。
(Kayoko Kubota)1932年、大阪生まれ。脳科学の権威である京都大学名誉教授・久保田競氏の妻で2人の息子の母。長男が一級建築士、次男が東京大学に合格。約30年前に、日本における伝統的な母子相伝の育児法を見直しながら、自身がアメリカ在住時と日本で実践してきた出産・育児経験をもとに、夫・競氏の脳科学理論に裏づけされた“0歳から働きかける”クボタメソッドを確立。テレビなどで「脳科学おばあちゃん」として有名。『カヨ子ばあちゃん73の言葉』『カヨ子ばあちゃんの男の子の育て方』『カヨ子ばあちゃんのうちの子さえ賢ければいいんです。』など著書多数。ズバッとした物言いのなかに、温かく頼りがいのあるアドバイスが好評。全国からの講演依頼もあとをたたない。
それを受けて私は、東大から京大へ移ることにし、東大安田講堂事件で医学部が封鎖される直前に、愛知県犬山市に移転しました。
犬山では、今まで行われていない研究をすることを考え、サルで記憶のメカニズムを探る研究をしようと考えました。
前頭前野の神経細胞の活動を記録し、サルが記憶課題を遂行しているときの神経細胞の活動を解析することにしたのです。
当時、無麻酔で学習行動をしているサルで、神経細胞の活動を調べることはできませんでした。当然、そのような技術がなかったわけです。神経細胞の活動は、麻酔した動物でしかできませんでした。しかし、ついにそのような技術を開発した人が出てきました。
イリジウムを混ぜた白金棒を細長くし、それにガラスを塗って絶縁して微小電極をつくり、それを働いている神経細胞のそばに持っていて、電気活動を記録する。サルが課題を実行すると、神経細胞が働いて、課題を行われたことがわかる。
そのような「慢性神経細胞活動記録法」を1965年ごろに開発したのが、E・エバーツで、彼に教えを請うたところ、彼は米陸軍の日本語を教える学校へ3ヵ月行き、流暢な日本語をしゃべれるようになって、犬山へ子どもを連れてきてくれました。
京都大学霊長類研究所には、長期滞在する研究者に宿泊施設をつくっており、彼と子どもが「最初の宿泊者」となったわけです。