語学の勉強のためアメリカに9ヵ月滞在した遠藤直紀は、そこでパソコンを使ってインターネットやEメールを駆使する人たちをみてカルチャーショックを受けた。アクセンチュアに勤務していた先輩たちと会社を立ち上げるが、見事に失敗する。自分で800万円を集めて社長となり、残った4人で企業のホームページのコンサルを始めた。会社が飛躍するきっかけとなったのは、なんと書籍の出版だった。
ホームステイ先で受けた衝撃で
選んだ就職先はコンピュータ関連
大学時代、スキンダイビング部に入っていた遠藤直紀は、世界のダイビングスポットに潜りに行った。ダイビング旅行で感じていたのは、「英語が通じない」ということだった。
大学3年も終わろうとしていたが、他の学生のようにリクルートスーツに身を包んで、本当に入りたい会社かどうかもよく分からないのに、面接で「是非とも入社したい」などと言う気になれなかった。「それより何かスキルを身につけることだ」と考えた遠藤は、語学を学ぶため大学4年の4月からアメリカに渡った。
コロラドスクールオブマインズという鉱山など資源開発専門の大学で7ヵ月学んだ。ホームステイ先は、父親が書店員、母親はパートで働いている、どちらかといえば貧しい家庭だった。そこで遠藤は衝撃を受ける。その貧しい家庭がパソコンを購入したのだ。1996年のことで、Eメールやインターネットをするためだという。日本ではそんな使い方が一般化していないときである。大学の友人たちも、Eメールによる会話はもちろん、日常的にコンピュータを駆使していた。
12月に日本に帰ってきて、卒論を仕上げ、就職活動を開始したのは2月だった。英語もできるし、なんとかなるだろうと甘く考えていたが、当然、まともな会社の入社試験は終わっている。仕方なく第2新卒を募集している会社を探した。アメリカでの経験からコンピュータを学びたかった遠藤は、ソフトウエアの会社に入社した。
当初、仕事は面白かったが、やっている仕事はある1部分の開発であり、全体像が見えない。自分が何を創っているのかが分からないのだ。これは辛かった。1年半勤め、そこを辞めた。
先輩たちと会社立ち上げ、失敗
3000万円の借金背負い社長に
転職先はアクセンチュア(当時アンダーセン・コンサルティング)だった。あるプロジェクトに配属されたのだが、ここでの仕事は面白かった。
「面白い会があるから行ってみないか」
辞めるつもりなどまったくなかった遠藤に転機が訪れるのは、先輩の誘いがきっかけだった。