経済理論や経済政策の背景にある思想史を学ぶことに、どんな意味があるのか。『これならわかるよ!経済思想史』を上梓した坪井賢一(ダイヤモンド社論説委員)が、経済学の師とあおぐ佐和隆光氏(滋賀大学大学長)を迎えて語り合う対談の後編をお送りします。ガルブレイス、クルーグマン、スティグリッツ、ピケティ…と代表的な経済学者の立ち位置も事例に挙げながら、経済思想のもつ意義を考えてきた前編に続き、後編ではビジネスパーソンや学生が備えておくべき「人文知」とは何か、それを体得する意味や方法、大学教育のあり方に議論が広がります。
坪井 文部科学省は2015年6月8日、全国の国立大学法人に対し、社会の要請に合わせて人文社会科学系や教員養成系の学部・大学院の「廃止」や「転換」に取り組むようにと大臣名で通知しました。これに対して佐和先生は真っ向から反論されています。
佐和 文科省にけしかけたのは産業競争力会議です。産業競争力が低下した責任をすべて大学教育のせいだとして、文科省の高等教育政策に口出ししするようになったのです。文科省の有識者会議で、某経営コンサルタントが「旧帝大・慶応大以外の大学の文系学部を職業訓練学校にせよ」などといった提言をするなど、私に言わせれば暴論以外の何物でもありません。「有用性」の尺度で学術・科学の価値を測り、学術・科学を産業の僕あつかいするのは言語道断です。高度成長期にもそうだったし、第2次大戦中にもそうだった。
経済学部出身で産業界のトップに上り詰めた人は少なくありません。60歳以上の経済学部出身者が学生時代に何を学んだのかといえば、その大方がマルクス経済学だったはずです。「役に立たない」学問の典型例のようなマルクス経済学、『資本論』を四苦八苦しながら−−−−全部読み切った人は少ないでしょうけれども−−−−読解する営みを通じて、文科省が「真の学力」と呼ぶ思考力、判断力、表現力を身に付けることができる。『資本論』を読んだからこそ、会社で出世もできたといっても過言ではありません。
坪井 経済学古典の読書を通じて人文知が磨かれたともいえますね。
佐和 新古典派でも、限界効用逓減の法則などを覚えても思考力や判断力は付かないかも知れませんが、たとえばミルトン・フリードマンと妻ローズの共著『選択の自由』(日本経済新聞出版社、初版1980年、新装版2012年)などをきちんと読めば、市場経済に関する思考力、判断力、表現力が身に付く。あの本も今や古典です。マルクス、スミス、リカードまでさかのぼらなくても、ガルブレイスの多数の著作やピケティの『21世紀の資本』も古典の名に値する。古典を読解することを通じて、初めて理系学部の出身者とは差別化された能力が身に付くのです。
坪井 フリードマンは『選択の自由』の20年前に出版した『資本主義と自由』(原著1962年、日経BP社、2008年)もすごい本です。
佐和 今回の文科省の通知には、もうひとつ重要な背景があります。私学の救済です。
今、少子化のもとで私立大学の実に40%以上が定員割れしています。ただし、人気がない私立大学でも、辛うじて経済学部・商学部または経営学部と教育学部は定員割れはしていない。それら学部の1年分の定員は私立大学全体の30~40%を占めているます。これらの学部の教育は私立に任せて欲しいというのが私立大学側の本音なのです。実は、私が学長を務める滋賀大学は経済学部と教育学部しかありません(笑)。ですから、まさしく戦々恐々の有り様なのですが、定員を削減されたり、運営費交付金にメリハリをつけられたりすると、貧乏大学どころか極貧大学になりかねません。そこで、何かいいアイデアはないものかと、あれこれ考えあぐねた結果…
坪井 データサイエンス学部を新設されるんですよね。