経済理論や経済政策の背景にある思想史を学ぶことに、どんな意味があるのか。『これならわかるよ!経済思想史』を上梓した坪井賢一(ダイヤモンド社論説委員)が、経済学の師とあおぐ佐和隆光氏(滋賀大学大学長)を迎えて語り合います。今回はその前編として、ガルブレイス、クルーグマン、スティグリッツ、ピケティ…と代表的な経済学者の立ち位置も事例に挙げながら、経済思想史の意義を考えていきます。
坪井 恥ずかしながら、『これならわかるよ!経済思想史』をこの6月に出版しました。おわかりのとおり、30年前から佐和先生に教えを受け、ずっと考えてきたことをまとめたものです。新古典派、ケインズ経済学、マルクス経済学という3つの経済学とその基盤となる思想史を理解しておくと、世界各国の経済政策が基本的にはこの3つのいずれかから選択的に打ち出されていることが分かり、日々耳にするニュースも理解しやすいと思っています。
佐和 この本に書かれているとおり、仮に経済学の理論が水面上に浮かんでいるとすれば、それを水面下で支える思想構造というのがきちんとあることを、意外と経済学者ですら意識していないのではないでしょうか。
アメリカの大学で4年間ほど研究や教育に携わった経験からいうと、アメリカの経済学者は研究に専念しているのは無論のことですが、自分の思想の所在を率直に表明します。新古典派の経済学者ならば、政治的にはリパブリカン(共和党指示者)らしき主張をします。市場経済の効率性への信頼が篤く、政府の市場介入には疑義を呈します。他方、ポール・クルーグマン(1953-)やジョセフ・E・スティグリッツ(1943-)らケインズ経済学者は、アメリカ経済学界の左派として、所得格差の是正を主張し、政府の財政金融政策による市場介入を督促するといった具合に、デモクラート(民主党支持者)としての政治的な旗色を鮮明にしていますよね。
坪井 佐和先生はアメリカから帰国された後、『経済学とは何だろうか』(岩波新書、1982年)で「経済学の制度化」というアメリカの知的風土を分析されたり、『平成不況の政治経済学』(中公新書、1994年)では大不況に陥った日本の経済政策の思想的な基盤と政治思想の関係を整理されました。
佐和 アメリカには、経済学者が思想をはっきり主張する土壌が昔からありますよね。
先ほどの例に加えて、日本でも最も著名な経済学者のひとりであるジョン・K・ガルブレイス(1908-2006)は左派の思想家として名を残しました。彼は1946年に41才でようやくハーバード大学教授に昇任したのですが、なぜ、そんなに遅かったのかというと、次の理由が挙げられます。彼の若い頃の専門は農業経済学という地味な分野であり、狭義の業績(査読付き専門誌へのパブリケーションズ)が少なかったことに加え、彼の左派思想が教授昇進の邪魔をした面が多分にあったのです。
ガルブレイスはアメリカ経済学界では最左翼でした。第2次大戦後、マッカーシー旋風が渦巻くなどアメリカが右傾化した時期だったにもかかわらず、連合国の戦略爆撃調査団の一員として来日したガルブレイスは原爆投下直後の惨状を目の当たりにし、「原爆など投下しなくても8月11日までに終戦をむかえられただろう」といった批判的な発言を堂々としていました。こうした姿勢が徒となって、ハーバード大学の人事を最終決定する評議会−−−−当時は卒業生など大学に多額の寄付をしている人や元教授、名誉教授などで構成される極度に保守的な組織−−−−でいつも難癖がつき、なかなか教授になれなかった、と言われています。