4月9日、密約に関する文書の公開を求めた裁判で、歴史的な判決が下った。国に対して、調査をやり直し、国民に文書を公開するよう命じたのだ。およそ50年にわたって、密約はないとしてきた政府。しかし、民主党政権が誕生し、国は初めてその存在を認めた。

 密約――それは日本政府がアメリカ政府との間で国民に隠して結んだもの。日本の国是「非核三原則」に反して、核兵器を積んだアメリカの艦船が日本に寄港することを密かに認めていた。さらに1972年、沖縄返還をめぐり、当時の日本政府は、基地の撤去費用はアメリカが支払うとしていたが、密約によって、実は日本がその費用を「肩代わり」することになっていたのだ。

密約文書の公開を求め、
38年間闘った元新聞記者

 密約文書の公開を国に求めたのは、作家やジャーナリストたち25人。訴状では、この「肩代わり」が、いまに続く在日米軍に対する巨額の財政負担に繋がっていると指摘。さらに、「国民に情報を与えない政府は、真に国民の政府とはなりえない」と訴えた。

この問題をスクープし、国民の知る権利を訴えてきた元毎日新聞記者・西山太吉氏。判決後の会見で、「革命が起こった」と語った。

 この密約は、38年前、1人の新聞記者のスクープによって、明るみに出た。新聞記者は、国家機密である密約文書を入手。国民に事実を伝え、政府に真相を追及しようとした。しかし、国は文書の存在を認めず、情報源が外務省の女性事務官だったことを問題視し、そのことを追及した。記者は国家公務員法「そそのかし罪」で逮捕された。

 この記者のモデルになったのが、元・毎日新聞記者の西山太吉さん。密約を告発した後、新聞記者の職を失った。西山さんは、国民が知るべきことを知らせない国の現実を少しでも変えようと、訴えを起こした。西山さんは、

「主権者である国民に知らせないままに、勝手に自分たちが決めて、それを国会にはからずに全部やっていく。こんなことが構造化したら、大変なことになる」

と語った。

密約を裏付ける
アメリカ公文書の存在

 原告側は、アメリカの外交文書を証拠として裁判所に提出。それは、西山さんがスクープした密約を裏付ける文書だった。この文書をアメリカで発見したのは、国際政治が専門の我部政明教授(琉球大)。研究のため、アメリカの公文書館を頻繁に利用する中、日米の密約に関する資料を発見したのだ。

アメリカで密約に関する文書を発見した、琉球大学・我部政明教授。写真右は、我部教授がアメリカ公文書館で実際に発見した、日米密約に関する公文書。

 我部教授は、法廷で、

「アメリカの文書には日本の代表者のイニシャルがあることから、同じものが日本にもあるはずだ」

と訴え、文書が公開されない弊害についてこう語った。