年明け間もない1月9日、追跡チームが取材に向かった北里大学病院救命救急センターではある異変が起きていた。この日、運び込まれたのは意識障害を起こした27歳の女性。救急隊員が女性の自宅から持ち帰った薬の空き袋から、女性は一度に170錠もの向精神薬を服用したことが明らかとなる。
向精神薬とは、抗うつ薬や睡眠薬など医師から処方される薬の総称だ。いま、この向精神薬を一度に大量に飲む「大量服用」で救急搬送される患者が急増している。
「大量服用」の影に「多剤処方」あり。
多剤処方は日本独特のもの?
では、なぜ向精神薬の大量服用が起きるのか。北里大学病院救命救急センターに常駐する精神科医・上條吉人医師は長年、大量服用を起こす患者の背景を探ってきた。上條医師が、意識が戻った27歳の女性に処方内容について聞き取りしたところ、女性は6種類の薬を処方されていたことが判明した。この女性のように多種類の薬を処方されているケースは珍しくないという。
これまで上條医師は、大量服用の患者からの聞き取りを行なった調査表を作成してきた。その数は5年で700件を超える。特に上條医師が注目するのが、処方される薬の種類の多さ。1人当たりの薬は平均5種類。中には、10種類以上の薬を処方されている患者もいるなど、救急現場では疑問の声が上がっている。上條医師は、安易に多くの薬を処方することは自殺につながる可能性があるとして、危機感を募らせている。
大量服用に至る経緯はどのようなものなのか。強い不安や絶望感からうつ状態に陥った患者に対して、通常、抗うつ薬や抗不安薬が処方される。しかし、医師は症状が治まらないと別の薬を追加。それでも良くならない場合、どんどん薬の種類を増やしていく。一方、患者は元々、自殺念慮の傾向が強く、薬が増えても不安感などの症状が収まらないことから、焦りが募り、突発的に自殺を図ろうと大量服用に至ると考えられるという。
欧米では抗うつ薬の場合、一種類の薬で治療を始め、効かない場合は別の薬に切り替えるのが基本だ。多くの薬を組み合わせる「多剤処方」は日本独特のものだとされ、単剤処方より効果があるいう客観的なデータはないと指摘されているが、現実には多くのクリニックで多剤処方が行なわれている。上條医師は、多剤処方の背景をこう分析している。
「薬の大量服用の患者をヒヤヒヤしながら治療したと思ったら、同じ患者がまた大量服用して運び込まれることがある。クリニックの医師は頭の中で知識としては知っているけど、救急の現場を知らないから、また安易に生命を脅かすような処方をするのではないか」
治療現場を混乱させる
薬が効きづらい「新型うつ」
さらに上條医師は、薬の大量処方の背景についてもう1つの問題点を指摘した。救急センターに運び込まれる患者の多くは「うつ病」と診断されている。しかし、その多くが従来のうつ病とは違う「新型のうつ」ではないかと上條医師は見ている。