日本も米国もドイツも──
不祥事は国民性もガバナンスも超越する

VW、東芝、金融機関──。なぜ経営者や社員は問題を知りつつ不祥事に関わってしまうのか

 ドイツを代表する企業であるフォルクスワーゲン社(VW社)の、クリーンディーゼル車をめぐる不正ソフト使用の問題は、まだ全貌が見えない。問題は、米国だけでなく、お膝元である欧州市場にも広がりつつあり、当局による制裁金に加えて、大規模な集団訴訟も準備されているようだ。VW社が今後支払う金額は途方もないものになりそうだし、イメージの上でのダメージも小さくはあるまい。ドイツの雇用や経済にも影響が及ぶ可能性がある。

 これほどの大問題だが、これまでの報道によると、2011年時点で社内の技術者が違法な規制逃れを指摘した文書を監査役会に提出しているなど、VW社内で問題の所在は以前から知られていたようだ。問題のソフトをVW社に提供した自動車部品大手のボッシュ社も、ソフトはあくまでも社内用で規制対策に用いるのは違法だと文書で警告していたという。

 VW社の問題はまだ始まったばかりだが、財政赤字に厳しく、過去のナチスに関わる歴史問題でも自国に厳しいドイツは、融通がきかないけれども正直な国民性なのかと思えば、ビジネスの世界では違うらしい。

 実は、1990年代には日本の金融機関が不良債権を隠すなどの会計操作をしていたことについて、市場による会社の監視が強力に働いているとされた米国との対比で批判されたことがある。

 しかし、その後、エンロン社、ワールドコム社などの大規模な会計粉飾が発覚し、米国の企業や制度の下でも大規模な不正は起こりうることが、事実をもって雄弁に証明された。

 ついでに言うなら、2007年に「サブプライム問題」として顕在化し、翌年のリーマンショックから金融危機に至る大問題のきっかけとなった、住宅ローン債権が「ヤバい」ことは、金融の当事者なら大なり小なり分かっていたはずだ。問題を知りつつも、自分だけは儲けようとした、個々の金融マンにとっては経済合理的な行動が、巨大なバブルとその後の経済危機を生んだ。

 日本企業・日本人、米国企業・米国人だけでなく、ドイツ企業あるいはドイツ人も十分汚いことをするのだという事実には、社会的には歓迎できないことながら、人間とビジネスの普遍性を感じて、ある種の感慨を覚える。