本連載「今こそ読みたい! 100年100冊」の記念すべき100冊目を飾るのは、“経営の神様”ドラッカーによる事実上の自伝『傍観者の時代』。訳者の上田淳生氏に「ドラッカーとその思想の根本を知るうえで本書に勝るものはない」と言わしめた1冊です。その内容を少しご紹介しましょう。

ドラッカーが
「最も楽しく書いた」著作

ピーター・F・ドラッカー著、上田惇生訳『傍観者の時代』 2008年5月刊。帯にはあのコピーライターの糸井重里氏の推薦文が掲載されています。

 マネジメントの父、ピーター・F・ドラッカー。本書『傍観者の時代』は、そのドラッカーファンのための取っておきの1冊です。ドラッカーの原点に触れることができる“自伝的著作” “半自伝”とされます。

 ドラッカー自身も新版への序文でこう書いています。

 本書は、私の著作のうち最も重要なものではないかもしれない。しかし、最も楽しく書いたものであることは確かである。

 本書は読者にとっても楽しいもののようである。(中略)もっともうれしいのは、「あなたの本は全部読んで、勉強して、使わせてもらっている。でも一番面白いのは『傍観者の時代』だ。実にいろいろな人が出てきますね」といってもらったときだった。(vページ)

 同じく序文でドラッカーはこう付け加えます。

 私の心を打った人たちを登場させた。それぞれが、それぞれの話をもつ人たちであって、しかも、観察と解釈の価値のある人たちだった。そして何よりも、社会とは、多様な個と、彼らの物語からなるものであることを教えてくれる人たちだった。(viページ)

シュンペーター、ハイエク、フロイト……。
そうそうたる偉人に触れていたドラッカー

 ドラッカーの父アドルフはオーストリア=ハンガリー帝国の政府高官、母は医学部出身でした。ドラッカー家のホームパーティーには、創造的破壊のヨーゼフ・シュンペーター、自由主義思想、オーストリア学派のフリードリヒ・ハイエク、チェコスロバキアの建国の父トマス・マサリクなどもよく顔を出していたといいます。そうしたサロン、彼らによる談論風発を耳にしたドラッカー少年は、自然とさまざまな素養を身につけたことでしょう。

 本書で綴られているのは、第一次世界大戦と第二次世界大戦との間の4分の1世紀の間に、ドラッカーが出会ってきた人々です。

 8歳のとき、両親から「オーストリアで一番偉い人、もしかしたらヨーロッパで一番偉い人だよ」と紹介された、精神分析の創始者ジークムント・フロイト。青年期に出会い、「抜きん出て興味をかきたてられる人物」と映った「大転換」のカール・ポランニーの一家などが登場し、出色のエピソードが並びます。

 ヨーロッパ知識人としての教養を磨き、「自由」や「多様性」といった価値観を身につけた若きドラッカーは、しかし、大きなショックを受けます。ナチスの出現、ファシズム全体主義の台頭です。

 ファシズム全体主義はなぜ現れたか? この問いが29歳のときの処女作『「経済人」の終わり』につながりました。そして、二作目『産業人の未来』で、ファシズム全体主義が二度と出現することのないよう、新しい社会の担い手としての企業経営者、ミドルマネジャーなどに目を向けることになります。

 マネジメントはわれわれの社会をより良くするためのもの――。本書の通奏低音をなしているのは、こうした信念と願いなのです。

『マネジメント』に投影された
小学校時代の恩師の教え

「おばあちゃんと20世紀の忘れ物」から、「お人好しの時代のアメリカ」まで、15章からなる本書の中で、評者がとくに好きなのはドラッカー幼少時代の回想です。たとえば、第3章「エルザ先生とゾフィー先生」は、小学校時代に出会った先生についてのエピソードが語られます。

 生まれつきの個性の力、つまり自ら天賦の教師であることによってではなく、自ら手にした方法論によって人を学ばせることのできる人たちだった。彼らは、学ばせるための方法論を知っている。それがエルザ先生だった。

 彼らは、生徒一人ひとりが得意とするものを見つけ、目標を定めてその強みを伸ばさせる。目標は、長期のものと短期のものとの両方を設定させる。生徒が不得意とするものに関心を払うのは、その後である。しかもそれらの弱みは、強みを発揮するうえでの邪魔ものとして扱うにすぎない。

 そして彼らは、生徒が自らを律し自らを方向づけることができるよう、彼らが自らの学びをフィードバックする手助けをする。けなすことなくほめる。しかし、生徒自身が自ら成し遂げたことそのものを誇りとすることができるよう、ほめすぎることはしない。(76ページ)

『もし高校野球の女子マネージャーがドラッカーの『マネジメント』を読んだら』(岩崎夏海著、弊社刊)で、主人公が教科書とした『マネジメント【エッセンシャル版】』に、こうあります。

 人のマネジメントとは、人の強みを発揮させることである。人は弱い。悲しいほどに弱い。問題を起こす。手続きや雑事を必要とする。人とは、費用であり、脅威である。しかし人は、これらのことゆえに雇われるのではない。人が雇われるのは、強みのゆえであり能力のゆえである。組織の目的は、人の強みを生産に結び付け、人の弱みを中和することにある。(80ページ)

 ドラッカーは、人の強みを発揮させることこそマネジメントだとし、自己管理による目標管理こそがマネジメントの哲学たるべきだ、と繰り返しました。その源流には、小学校時代に噛みしめた先生の気遣いややさしさがあったのです。
ドラッカーは同じ『マネジメント【エッセンシャル版】』でこうも強調しています。

 自立的なマネジメント、すなわち自らの組織に奉仕することによって、社会と地域に奉仕するというマネジメントの権限が認知されるには、組織なるものの本質に基盤を置く正当性が必要とされる。そのような正統性の根拠は一つしかない。すなわち、人の強みを生産的なものにすることである。これが組織の目的である。したがって、マネジメントの権限の基盤とうなる正統性である。(275ページ)

 ドラッカーにとって、マネジメントとはこのように胸を張るべきもの、誇り高きものであるべきだったのです。

 ドラッカーの著作の翻訳を長年手がけ、ドラッカーから「最高の友人であり、編集者であり、翻訳家」と信を置かれた上田惇生氏は、『傍観者の時代』の訳者あとがきにこう記します。

 「ドラッカーとその思想の根本を知るうえで本書に勝るものはない」