新党の誕生により、「数的には、選択肢はたくさんあるはずなのに、何を選んだらよいのかわからない」という状況は、このように政治の世界でも生まれています。国民の側からすれば、何とも困った話かも知れませんが、混沌とする「相対化の時代」をいかに生きていくかを考えるうえでは、政治は国民生活と密接に関係しているがゆえに、一番いい勉強素材と前向きに捉えるべきでしょう。

自分なりの
「モノサシ」を持つ

 個人の主観的価値観に依拠する「相対化」の議論ですが、結局は個人個人が“何を判断の拠り所にするのか”、という議論に、収れんされます。これが、この連載で何度も書いている、自分なりの価値観という「モノサシ」です。混沌とする「相対化の時代」を生きていくためには、この「モノサシ」が必要とされるのです。

 自分なりの「モノサシ」を持つために、まず心がけることは、「相対化の時代」の特徴である、多様性、多元性にしっかりと対応することです。すなわち、物事を短絡的に捉えたり、思考停止するのではなく、物事を色々な角度から多面的に検証する、ということです。これにより、少なくともステレオタイプな価値観に陥ることはないと思います。そして、「唯一の解がない」ということを前提に、とにかく考えて行動し、行動して考える、ということを繰り返すことです。

 仕事上でも、追い込まれた局面で思いもよらぬ知恵が生まれた、という経験をされた方は多いと思います。あきらめたらそこで終わりですが、考えていけば、何かしら道は開けるものだと思います。そして、一歩踏み出し行動を起こすことで、違った世界が見えてくることは、私が銀行員を辞めた経験からも実証済みです。そして、一歩踏み出すことによって開けた新しい世界から見つめなおすと、また違った価値観が発見できるかもしれません。

 「相対化」の時代を生きていく自分なりの価値観=モノサシが持てれば、唯一の解が存在しない、環境問題にもしっかりと対峙することができると思います。逆にいえば、環境問題を何ら特別視する必要はなく、「相対化の時代」のひとつの社会問題として向き合えば、それでよいのです。

 このように「相対化の時代」とは、価値感の多様化の認識と、個人個人の価値基準(モノサシ)が求められる時代であり、数値化による比較で“相対化”することでは決してありません。GDPが価値基準としてそぐわなくなっているのは、「経済指標が絶対的な価値基準ではなくなった」ということだけではなく、むしろ「われわれの価値観を数値化する限界が露呈したもの」と考えるべきです。

 こうした点から、幸福感・満足感の調査は、多様化する価値観を知る資料としては確かに意味があるものの、数値化を前提とした“新たな指標化”の意味は見出せないと思うのです。

【参考資料】
・「相対化の時代」坂本義一[著](岩波新書/1997年)
・「相対化の時代」が始まる~多元的な価値観の社会へ【一刀両断】佐和隆光(日本経済新聞 朝刊P.42/1999年1月18日)