今年もいよいよ年の瀬です。早いもので、前連載の「この“環境ビジネス”をブックマークせよ!」から始まり、私がダイヤモンド・オンラインで環境問題に関する連載を担当させていただいてから2年がたちました。今回は今年最後の記事であるとともに、最終回となります。そこで、これまでの2年間を総括し、あらためて「腹に落ちる環境学」について考えてみようと思います。

環境問題でなぜビジネスが
悪者になったのか?

 この2年間に、環境問題はこれまでにないくらい大きく政治やメディアで取り上げられるようになったと思います。特にいま思えば、昨年8月の総選挙で民主党が政権を奪取した後、9月に鳩山由紀夫前総理大臣が国連で温室効果ガスの25%削減を明言し、その後12月にコペンハーゲンで開催された第15回気候変動枠組み締約国会議(COP15)までの約4ヵ月間がそのピークであったように思います。この頃は環境問題が政治の表舞台に立ち、経済政策よりも優先する課題のごとく扱われた感すらありました。

 しかし、前連載の第1回でも述べたように、環境はビジネスの“かくし味”であり、環境問題を社会的課題の“最前線”に押し出して議論することは、そもそも無理難題だったのです。それゆえ、昨年のCOP15や、今年メキシコのカンクンで開催された第16回気候変動枠組み条約締約国会議(CO16)、さらには今年名古屋で開催された第10回生物多様性条約締約国会議(COP10)でも、「先進国vs開発途上国」という構図のなか、思うような成果をあげるには至りませんでした。

 いまや環境問題は、経済(ビジネス)の議論なくして語れない問題です。しかし、環境問題ではどうもビジネスが悪者扱いされているため、特に日本においては、これまで環境問題と経済問題とを真正面から対峙させ議論する機会があまりなかったようにも思えます。

 環境問題でビジネスが悪者になった原因と言えるのが、「外部不経済」の問題です。外部不経済とは、例えば、企業が製造する商品で、企業は利益を得て、購入者は便益を得る一方、製造過程で生じる環境への悪影響や商品使用後のゴミ問題までは(経済換算されて)商品の価値に含まれていない、つまり「環境への悪影響は、経済活動の外にある」ということです。

 しかし、いま検討が進んでいる環境税などは、経済活動の外にある環境問題を、企業や受益者が負担することによって経済活動の内部に取り込むという政策的取り組みといえます(=外部不経済の内部化)。ただし、国際会議での枠組みや環境税といった「社会システム」は、人為的に作られるものであるがため、異なる利害関係や主張をまとめることはそもそも容易なことではありません。

調和の保たれた
環境システムから学ぶ

 一方、自然環境に由来する「環境システム」は、本来、人の手によらない生態系や自然現象に由来するがゆえ、微妙かつ繊細なバランスのうえに調和が保たれているものです。逆にいえば、こうした「環境システム」に人為的な手が加わったことにより、いまの環境問題が引き起こされたともいえます。

 自然環境に由来する「環境システム」上で人為的に引き起こされた課題に対し、われわれが新たな人為的「社会システム」を創造し、解決に導こうとする取り組みは大変重要なことですが、自分の尻尾を追いかけてグルグルまわり続ける動物のようで、何となく滑稽に映ります。この2年間、私が環境ビジネスに携わるなかであらためて気付かされたことは、